9/30/2018

農業土木関係の図書(続きのその2です)

台風24号が間もなく関東に近づいてきます。
次第に雨と風の音が大きくなってきました。
一応、昼の間雨が降ってくる前に、家の周りを見回り、風で倒れそうなものは養生しておきました。

さて、今日も父の土木関係の書籍の紹介です。
9月17日9月25日のブログの続きです。

これらの専門書は私が持っていても価値がなく、いずれは処分することになります。
もし、このブログを見て、気になる本がありましたら、コメント欄を使ってご連絡ください。(コメントは直ちに公開はされませんのでご安心ください。)
年末には処分いたしますので、ご了承ください。

今回はこの4冊。
農業土木というよりも、ダムや鉄道・橋梁などいわゆる土木工学の図書が中心です。
父は学校を卒業した後は、鉄道、橋梁関係の仕事に就きました。
今回紹介する図書の発行日からみても、仕事に関連する図書を購入したのだと思います。

●土木工学難問疑問解答集 第1集
【著者】東京工学研究会
【発行】1954/06/10 (初版1954/06/10)
【出版社】鉄道図書局 【定価】¥180
本書をインターネットの「国立国会図書館デジタルコレクション」で検索したら、
この資料は、著作権の保護期間中であるか、著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開をしていません。閲覧を希望される場合は、国立国会図書館または図書館送信参加館へご来館ください。
となっていて、インターネットでの公開はなされていないようでした。


●佐久間ダム―その歴史的記録
【著者】長谷部成美
【発行】1956/07/15 (初版1956/07/15)
【出版社】東洋書館 【定価】¥270
この本はざっと目を通しました。著者は日経新聞記者で入社以来電力を担当され、入社後5年目でこの本を出版されました。単なる建設記録ではなく、戦後の電力改革、プロジェクト立ち上げの経緯、政界の動き、水車・発電機の国際入札の裏側まで、新聞記者として自ら収集した情報をもとに書き上げたもので、NHKのプロジェクトXにつながるところがあります。


●「ウエルポイント工法」
【著者】瀬古新助
【発行】1956/12/25(初版:1956/12/25)
【出版社】理工図書 【定価】¥180
著者は、戦後日大教授から戦災の復興や人材育成を目的にコンサルタント会社を興した方で、この本のタイトルである「ウエルポイント工法」を導入されました。ウエルポイント工法は掘削工事の際に地下水位を低下させる工法です。この本の序文には次のように書かれています。
ウエルポイントによる強力な地下水低下法は、強力な土工機械の性能を最高度に発揮させるための必須の条件として、或は地盤の安定強化と工事の保安のために燎原の火の如く急速に普及しつつある。
著者が日本で初めて施工したのが1953年で、そのわずか3年後にこの本が出版されました。その時点で著者本人が「燎原の火」のようだと感じていたのですから、その工法の有効性は充分検証されたものだったと思われます。


●黒部渓谷
【著者】冠松次郎
【発行】1957/03/20 (初版1957/03/20)
【出版社】朋文堂 【定価】¥280
最初にこの本を手にした時、上に書いた「佐久間ダム―その歴史的記録」と同様に黒部ダムをテーマにした本だと思ったのですが、そうではありません。黒部を愛した登山家がダムができる前の黒部渓谷の素晴らしさを記したものです。黒部ダムの着工が1956年で、ちょうどその翌年に出版されました。きっとダム建設で黒部の自然が失われることにいたたまれなかったのだと思います。「はしがき」の一部を紹介します。
黒部渓谷も水力電気の施設が進むに連れて、下流から逐次、著しくその景観を害われてしまいました。さらに本年からは、黒部の核心地帯である下廊下の絶勝がいよいよ水力電気の工事現場となります。(中略)したがって五年後工事完成の暁には下廊下の水は激減し、反対に上流に大瀦水池を現出することになり、原始的の雄黒部は人工的瀦水池と荒れ壕の連続化することになると思います。(中略)この小著もやがて変貌する黒部の中心地帯のありし昔の美貌をしのぶ一つのしるべとなり、同時にまた日本にかえがたい大自然の成せる国宝を失う哀歌ともなりましょう。
夏の間だけ、関西電力社員以外は限られた人数しか訪れることのできない黒部川第四発電所の見学会に私は以前参加したことがあります。発電所に至るまでの景色に、日本にこんなに人の手の入っていないところがあったのか、といたく感動したものです。しかし、今の我々の世代には想像もできないようなさらに素晴らしい壮大な自然があったのでしょう。

9/25/2018

農業土木関係の図書(続きです)


父が昔使っていた土木関係の書籍を紹介します。
9月17日のブログの続きです。

これらの専門書は私が持っていても価値がなく、いずれは処分することになります。

もし、このブログを見て、気になる本がありましたら、コメント欄を使ってご連絡ください。(コメントは直ちに公開はされませんのでご安心ください。)

年末には処分いたしますので、ご了承ください。
今回はこの3冊。

●コンクリートハンドブック
【著者】吉田徳次郎
【発行】1951/10/30 (初版1949/06/10)
【出版社】養賢堂 【定価】¥450(地方売価\470)
著者の吉田徳次郎先生は、コトバンクによれば、「大正-昭和時代の土木工学者」で「コンクリートや鉄筋コンクリート工学の研究で知られ、静岡県の佐久間ダムなどの工事を指導」されたとあります。

●実用農業工学便覧
【著者】東京大学農学部農業工学教室
【発行】1951/11/30 (初版 1951/11/30)
【出版社】朝倉書店 【定価】¥850
背表紙には「実用農業工学便覧」とありますが、表紙には「Agricultural Engineering Manual」と記載されています。(金文字でうまく写っていませんが)

●農業土木学詳論
【著者】牧隆泰
【発行】1954/01/21(初版 1954/01/21)
【出版社】地球出版 【定価】¥800
著者の牧隆泰先生は、東大農学部農業土木科卒業後、農商務技師、東大農学部講師、台北帝大教授、農林省開拓研究所員を経て東京農業大学教授を務められた方です。
熊本県玉名市のHPに干拓遺産を紹介した文書の中に、大正3年の台風による潮害による被害の復旧において堤防の設計に関わったのが牧先生とありますが、これは農商務技師の時代のころと思われます。
この本の内表紙には著者の押印「進呈 著者(印) 〇〇〇〇様(〇は父の名前)」があります。父は東京農業大学に通っていましたが、既に本が発行された1954年は卒業し働いていましたので、教科書として利用していたのではなく先生から直接いただいたものだと思われます。

9/17/2018

農業土木関係の図書

今日は父が昔使っていた土木関係の書籍を紹介します。
以前も父が遺した農業土木関係を始めとする技術図書を何度か紹介してきました。

2011/5/29 古本の紹介をはじめたきっかけ
2011/6/25 「国防農業論」と「大東亜の建設」
2011/9/23 「国防農業論」をお引き受けいただけることになりました
2011/11/27 農業・土木関係の図書

主に昭和20年代後半から30年代に発行されたもので、父が学生時代に教科書・参考書として使ったもの、或いは仕事に就いてから業務のために購入したものと思われます。

これらの専門書は私が持っていても価値がなく、いずれは処分することになります。
そこで、このブログで紹介したり、著者の大学の研究室に連絡を取ったりしたりして、お引き受けしてくださるがいらっしゃったらお譲りしています。

もし、このブログを見て、気になる本がありましたら、コメント欄を使ってご連絡ください。(コメントは直ちに公開はされませんのでご安心ください。)
年末には処分いたしますので、ご了承ください。

まずは、この3冊です。

●砂防工事及林道
【著者】荻原貞夫・福田次郎
【発行】1947/07/15(初版1937/05/20)
【出版社】明文堂 【定価】¥80
ネットで調べると著者の荻原貞夫さんは日本森林学会の第10~11代会長です。
この本の巻末には鉛筆で「22.9.24(東山堂)」と書き込みがありました。
おそらく父が購入した日と書店の名前ではないかと思います。
当時父は盛岡の学校に通っていたので、「盛岡、東山堂」で検索すると…、
ありました、ありました、明治38年創業の老舗ですね。
父は学生時代ここで本を購入していたんですね。

●農業土木ハンドブック
【著者】農業土木学会
【発行】1948/09/05(初版1931/12/20)
【出版社】丸善 【定価】¥800
農業土木学会は昭和4年に創立され、平成19年に農業農村工学会に名称が変更され現在に至っているようです(農業農村工学会HP)。
そのHPで学会の沿革を見ると、明治33年(1900)に、近代農業土木の始祖上野英三郎先生が東京帝国大学農科大学にて農業土木学を開講したところから始まります。
上野先生は、あの忠犬ハチ公の飼い主の方ですね。
農業土木ハンドブックは、昭和6年(1931)に初版発行で、昭和32年(1957) に改訂版が発行されて以来、だいたい10年毎に改訂されているようで、今は学会名に合わせてタイトルも変わり「農業農村工学ハンドブック改訂7版」として刊行されているようです。
父が使っていたのは改訂前のものですね。

●道路工学 設計編
【著者】岩澤忠恭
【発行】1948/10/01(初版1948/03/10)
【出版社】富士出版 【定価】¥80
著者の経歴をWikipediaで調べたら、すごいお方であるということがわかりました。
大学教授として教鞭をとり、また、役人として道路整備、河川改修・維持事業に携わり現場の指揮まで執られ、建設事務次官、地理調査所(現在の国土地理院)初代所長に就き、その後、参議院議員3期で予算委員長、建設委員長までなさった方です。
この本の第1章「緒言」の書き出しを紹介します。
我国の道路は道路法に依りて国道、府県道、市道並に町村道の4種に区別され、その費用は大体に於て其の名称の公共団体に依りて負担せられて居る。即ち府県道は府県費、市町村道は夫々市町村費支弁とする。
工学の本というよりも、行政官向けの教科書という感じです。
初版が1948年(昭和23年)ですが、その年に著者が建設事務次官に就かれたのですから、当然かもしれません。

9/04/2018

浦沢直樹 こんどは「BILLY BAT」

浦沢直樹先生の作品は本当に好きですね。
この作品も私の興味のあるところをご存知かのようにポイントをついてくれます。
これはまとめ買いではなくて、1冊ずつ次の発売日を待って購入しました。
第1巻が2009年、最終の第20巻が2016年なので足掛け8年です。
いい年して次のが出るのが待ち遠しくて仕方がなかったのを思い出します。

結構、発行のインターバルがバラバラで、もうそろそろ出てるかな、と思って書店に行って空振り、ということがありましたね。

この漫画で取り上げられている下山事件などは私が生まれる前の出来事ですが、ケネディ暗殺事件、アポロ月面到着などは私はリアルタイムで体験しています。
こういう事件はとっても興味があって、以前、下山事件を扱った本をこのブログで紹介ししましたが、そこではBILLY BATのことを書いていました。

BILLY BATは、時を越えて世界のどこかで起きた大事件が、実はすべて大昔から筋書きがあり、誰かがそうなるように操っている、というようなストーリーだと自分では思っているのですが、ノストラダムスの大予言などとちょっとつながっている気もします。








いつものようにまとめてボランティア団体にお譲りしました。

8/26/2018

浦沢直樹 20世紀少年

浦沢直樹さんの作品は大好きです。
時代があっているんでしょうか?
20世紀少年は、ネット通販でまとめて購入しました。
一気に読んで、また、読んで。
そして映画を見て。
映画のキャストは全員が本当に漫画とそっくりでした。
漫画を描き始める前から映画化を意識していて、実在の役者さんとイメージを重ねて漫画の中のキャラクターを作り上げていったんじゃないかと思ったくらいです。
T-Rexも最高!
ところで、写真を並べて今気づいたけど、18巻からタイトルが英語から日本語に変わってますね。
何かあったんですかね?
浦沢先生の作品は、いつもいろいろと謎解きも楽しめますね。

1 ともだち
2 予言者
3 ギターを持った英雄
4 愛と平和
5 さいかい
6 最後の希望
7 真実
8 ケンヂの歌
9 ラビット・ナボコフ
10 顔のない少年
11 成分表示
12 ともだちの顔
13 終わりの始まり
14 少年と夢
15 ばんぱくばんざい
16 鏡のむこう
17 クロスカウンター
18 みんなの歌
19 帰ってきた男
20 人類の勝負
21 宇宙人現る
22 正義の始まり
「21世紀少年」 上 “ともだち”の死
「21世紀少年」 下 20世紀少年




「20世紀少年」は全部で22巻で、おまけで「21世紀少年」が上下2巻、全部で24冊です。

大好きな作品ですが、家の中のスペースの問題もあり、いつものような障害者の方の団体にお譲りしました。

8/15/2018

埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」(その5:最終回)

昭和13年4月発行の埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」の第5回目です。このシリーズはこれで最終回とします。
オッと目にとまったところを順不同で書いていきます。

●浦和連合青年団・浦和連合女子青年団
その設立の経緯などが記されています。事務所が第一尋常小学校内に置いたとあります。青年団の活動そのものについてはこの本には特に記載はありませんが、以前、昭和11年9月1日発行 埼玉縣聯合男女靑年團 修養指箴(修養指針)をご紹介しましたのでそちらをご覧いただけば多少ご参考になるかと思います。

●金融機関
昭和13年当時、浦和に店舗を構えていた銀行・生命保険会社です。掲載順に記載します。
【銀行】武州銀行、武州貯蓄銀行、日本勧業銀行、昭和銀行、第八十五銀行
【生保】第一生命、仁壽生命、三井生命、明治生命、日清生命、千代田生命、愛国生命、日本共立生命、安田生命、帝国生命、太陽生命、昭和生命、第一徴兵
現在はその名前が残っていない機関が多く、現在の金融機関との関係がわかりにくいですが、銀行については、一般社団法人全国銀行協会のHPの「銀行変遷史データベース」、生保は一般社団法人生命保険協会のHPの「生命保険会社各社の変遷図」で現在までの統廃合の状況がわかります。

●浦和人物鳥瞰
当時の浦和市で活躍された名士の紹介です。学歴、職歴、出自、人柄、趣味など詳しく書かれていて、自宅の電話番号や子供の名前・年齢なども書かれている方もいます。個人情報の取り扱いが厳しくなった今の時代ではここまで紹介するのは難しいでしょうね。
埼玉県知事、浦和市長、市会議員、弁護士や教育、医療、商工業など様々な分野の名士69名について24ページを割いて紹介されています。
その中でこんなところでまた見つけてしまったお名前がありました。大久保通次氏です。私のこのブログで以前「大正時代の歯の衛生の本」という小冊子を紹介しましたが、その著者が大久保歯科医院・口腔外科医院の大久保通次氏でした。文学的な序文を書かれ、また、歯みがきの啓蒙のため自費でそのような小冊子を配布するなど、素晴らしい方がいらっしゃったんだと思った次第です。大久保歯科医院の住所が「浦和町表門通」ということくらいしかご本人の情報がなかったのですが、今、ずいぶんと明らかになりました。
京北高等歯科医学校長、大久保通次氏は学校長としての人格を持つだけに同校の発展を見ている。元埼玉会館前に新築開校されたものだが、今は大宮町に移校されて爾来発展を続けている。同校は男子にて歯科医師たらんとするものは必須な学術を教授するを目的とされ、今や数百の卒業生を出して成績優秀さは氏の熱心なる賜である。
歯科医学校の校長先生もなさっていたのですね。現在大宮区に同名の歯科があり、HPを拝見すると、院長さんのおじいさまが昭和16年に開業されたとあります。埼玉評論のこの雑誌には、昭和13年の時点で既に大宮町に移ったとありますので直接の関係はないのかもしれません。

●広告いろいろ
埼玉評論のシリーズその1の冒頭に書きましたが、目次に掲載されている162ページの後ろに80ページくらい広告が掲載されています。その中からいくつか紹介します。
  • 浦和市医師会会員:医師会会員45名の診療科目、氏名、町名、電話番号が掲載されています。電話番号はたった4桁の数字が書かれているのみ。今でも続いているところもたくさんあります。内科、小児科、産婦人科、外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、呼吸器科、泌尿科、肛門科といったお馴染みの科の中に「花柳病科」というのがありました。何となく想像はできます。
  • 浦和産婆会員:お産婆さんお一人お一人のお名前と住所が書かれています。何と驚くことに私を取り上げてくださったお産婆さんのお名前を見つけました。意外な感じもしますが、この本が発行されてから僅か22年後に私が生まれたのですから、それほど不思議ではありませんね。
  • 書籍文具紙店:須原屋書店、佃文教堂など今も営業されているお店もありますが、もう閉店してしまったお店の名前を見つけると懐かしさ、寂しさ、残念さが入り混じった何とも言えない気持ちになります。
  • 人生の別天地:これは右の写真を見ていただいた方が早いですね。今はもう残っていないでしょうね。
  • 浦和撞球場:ビリヤードですね。昭玉(警察所裏)、ウラワ(浦和駅前)、みやこ(埼玉会館内)、美枝子(東京電燈会社前)、東(八十五銀行横通)、明石(浦和公会堂前)と狭いエリアに6軒もあります。人気があったのでしょう。
  • 浦和芸妓連:14軒もあります。店の名前、電話番号、芸者さんの名前が並んでいます。そして幇間が1軒。今は浦和に芸者さんはいるのでしょうか?
  • 生徒募集広告一覧:既に紹介した浦和女子洋裁学校、宮崎裁縫高等女学校、埼玉中学校、そして大久保通次氏の京北高等歯科医学校の他に、大宮農商学校、与野農商学校が掲載されていました。Wikipediaをみると大宮農商学校は埼玉県立大宮高等学校の前身の一つとのこと。与野農商学校は当時与野町外六ヶ村立(木崎村、六辻村、土合村、大久保村、植水村、三橋村)の学校で埼玉県立与野高等学校の前身です。しかし、複数の自治体共同で学校を設立していたんですね。
  • 著名業者:これはいろいろあります。以前ブログで紹介した「洋品百貨のモリ商会」、中山道にお店を構える「浦和漬の酒井甚四郎商店」、浦和駅西口を出て左手に見える「袋物専門油屋カバン店」、旧中山道調宮神社前「石井銃砲店(今は浦和銃砲火薬店)」などはもう創立80年以上ということですよね。
ということで、昭和13年の浦和の様子を5回シリーズでお届けしました。
今では無くなってしまったものもあれば、80年以上前から姿形は変わってもずっと引き継がれて今も続いてものもある。
私のふるさと浦和にいっそう愛着が湧いてきたような気がします。


8/06/2018

埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」(その4)

昭和13年4月発行の埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」の第4回目です。
今回は昭和13年当時の教育機関の一覧をご紹介します。
そのうちのいくつかは当時の浦和の地図を紹介した第2回目にも触れています。
多少の重複はご容赦ください。
本に掲載順に①創立/②生徒数/③学級数/④職員数/⑤特記事項を記載します。
各校の規模がイメージできるかと思います。

浦和高等学校 (現在の埼玉大学)
 ①大正11年11月/②450名/③15学級/④67名/⑤-
埼玉県師範学校 (現在の埼玉大学教育学部)
 ①明治6年1月/②376名/③11学級/④25名/⑤-
埼玉県女子師範学校・埼玉県立浦和第二女学校 (現在の埼玉大学教育学部・浦和西高等学校)
 ①明治34年3月、明治36年4月附属小学校開校、昭和9年3月県立第二高女併置/②271名(師範学校)、99名(高女)/③8学級(師範学校)、20学級(高女)/④42名/⑤-
埼玉県立浦和中学校 (現在の浦和高等学校)
 ①明治28年6月埼玉県第一尋常中学校創立、明治34年改名/②1004名/③20学級/④44名/⑤-
埼玉県立浦和高等女学校 (現在の浦和第一女子高等学校)
 ①明治33年3月私立埼玉県高等女学校を引き継ぐ/②985名/③20学級/④43名/⑤年限5年制
浦和商業学校(市立) (現在の浦和商業高等学校)
 ①昭和2年3月/②856名/③15学級(内 一種12学級、二種3学級)/④32名/⑤-
男師附属小学校 (現在の埼玉大学教育学部附属小学校)
 ①明治7年8月/②755名/③14学級/④24名/⑤-
女師附属小学校 (現在の埼玉大学教育学部附属小学校)
 ①明治36年4月/②321名/③8学級/④10名/⑤-
浦和市第一尋常高等小学校 (現在の高砂小学校)
 ①明治4年9月/②2260名(内 尋常170、高等469名)/③40学級/④47名/⑤(生徒数の内訳が合いません)
浦和第二尋常小学校 (現在の常盤小学校)
 ①昭和2年4月浦和市(第一)尋常高等小学校の分校として設置/②1541名/③29学級/④33名/⑤-
浦和市第三尋常高等小学校 (現在の木崎小学校)
 ①明治7年5月北足立郡木崎領家村長覚院内に木崎領家小学校として創設/②811名/③15学級/④19名/⑤-
浦和第四尋常高等小学校 (現在の谷田小学校)
 ①明治6年太田窪小学校と称す/②779名/③15学級/④19名/⑤-
浦和市第五小学校 (現在の本太小学校)
 ①明治44年北足立郡木崎小学校分教場として創立/②1151名/③22学級/④25名/⑤-
浦和産婆看護婦学校(私立) (現在の高田クリニック)
 ①大正3年4月/②64名/③1学級/④4名/⑤-
昭和産婆看護婦学校(私立) (現在の石川病院)
 ①昭和5年12月/②600名(卒業生総数)/③-/④-/⑤看護婦学科1ヶ年、産婆科1ヶ年
宮崎裁縫高等女学校 (大正7年創立ですがその後の詳細がわかりません)
 ①大正7年(創立)、大正12年(学校編成)、昭和6年(文部大臣甲種認可)/②25名/③6学級/④13名/⑤-
浦和洋裁縫女学校 (現在の学校法人小松原学園)
 ①昭和11年/②24名/③4学級/④8名/⑤-
済美家政女学校 (現在の浦和幼稚園の学校法人浦和済美学園と関係あり?)
 ①大正15年4月3日/②18名/③2学級/④8名/⑤-
埼玉中学校 (昭和32年4月 浦和市立高等学校に統合)
 ①昭和6年3月/②11名/③5学級/④12名/⑤-
青年学校(浦和市第一、第三、第四青年学校)
 ①-/②308名/③11学級/④49名/⑤-
浦和幼稚園(私立) (現在も浦和幼稚園)
 ①-/②64名/③2学級/④4名(保母)/⑤-
常盤幼稚園(私立) (現在、同名の幼稚園はあるが、HPを見ると創立は1954年(昭和25年)とある)
 ①-/②38名/③2学級/④2名(保母)/⑤-
麗和幼稚園 (現在も麗和幼稚園)
 ①-/②44名/③2学級/④2名(保母)/⑤-
双葉幼稚園 (現在も双葉幼稚園)
 ①-/②73名/③3学級/④3名(保母)/⑤-
女師附属幼稚園(県立) (現在の埼玉大学教育学部附属幼稚園)
 ①-/②57名/③2学級/④2名(保母)/⑤-