8/03/2018

埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」(その2)

昭和13年4月発行の埼玉評論 創刊五周年記念特集号「躍進浦和市の全貌紹介」(その1)では、冒頭の埼玉評論社主幹小野龍之助の「本誌発刊の趣旨」と「編集後記」を紹介しました。
今回から、少し興味のあった内容を紹介したいと思います。
まずは、目次の後ろにとじ込まれている当時の浦和市の地図です。
少しファイルの容量が大きいですが、貼り付けてみます。


今と昔をいろいろと比べてみました。
地図に番号や実線、点線を描き込んでみました。
点線で囲まれたところは昭和13年には無かったもので、例えば浦和駒場スタジアムとかさいたま新都心とか南浦和駅とか。
実線で囲まれたところは、当時の施設を表しています。
ローカルネタばかりですが、ぜひ今の地図と比べてみてください。
  1. 浦和第一女子高等学校 浦和高等女学校
  2. 浦和商業高等学校 浦和商業学校:隣の白幡沼の北半分が今より少し大きかったように見えます。埋め立てたのでしょうか?
  3. 高砂小学校 浦和第一小学校:当時の小学校は番号で呼ばれていました。後ろで第二から第五まで紹介していきます。
  4. さいたま地方裁判所・埼玉地方検察庁・川越少年刑務所さいたま拘置支所・埼玉少年鑑別所 浦和刑務支所
  5. 石川病院 昭和産婆看護婦学校:今は個人経営の産婦人科ですが、当時は学校だったんですね。この本によれば、昭和13年当時の校長先生は石川清隆氏という方なので、今の石川病院の院長先生はそのご子孫なのでしょうか。
  6. 埼玉大学教育学部附属中学校 浦和第二高等女学校・県女子師範学校・附属小学校:浦和第二高等女学校は現在の埼玉県立浦和西高等学校です。この地図の北の端、下木崎に現在は移転していますが、昭和13年当時はその名の通り浦和市の西端にあったんですね。県女子師範学校は、その後県男子師範学校(下記No.12)と統合され県師範学校となり戦後埼玉大学教育学部となりました。県女子師範学校は以前このブログで絵葉書を紹介しましたが、その絵葉書は明治末期~大正初期に発行されたもので、県女子師範学校がNo.6のこの地に移転する前の校舎です。絵葉書の建物は、昭和13年の時点では、建物自体がやや北に移動され、No.7の南側に記載されている埼玉図書館として利用されていました。
  7. 玉蔵院:現在は、当時のお寺の敷地の中に南北方向に道路が通り、敷地が東西に二分されています。
  8. 埼玉県庁・埼玉県警察本部:当時の県庁の敷地の北半分に今は県警本部があります。昭和13年当時の警察組織がどのようなものかはよく知りません。同じような機能の組織が当時からこの場所にあったのかもしれません。
  9. 浦和ロイヤルパインズホテル 市役所・活動館・信用組合・職業紹介所・済美家政女学校市民会館うらわ 旧郡役所:パインズホテルができる前は、そのあたりは結構ごちゃごちゃしていたような記憶があります。映画館(活動館)がありましたね。市民会館は旧郡役所とありますが、これは北足立郡でしょう。浦和が北足立郡から離脱した後、郡役所はどこに移転したのでしょうか?今は、北足立郡というと伊奈町だけです。
  10. 常盤公園 浦和地方裁判所:今のさいたま地方裁判所は上のNo.4のところにあります。
  11. 浦和警察署・自衛隊埼玉地方協力本部募集課・知事公館 浦和中学校跡:浦和中学校は現在の埼玉県立浦和高等学校で、下のNo.24に移転されました。浦和高校の校歌に「わが武蔵野の鹿島台」という歌詞がありますが、この鹿島台がこの地でした。
  12. さいたま市役所 県男子師範学校:県男子師範学校は、埼玉大学教育学部の前身の一つです。これも以前絵葉書を紹介しました。
  13. 埼玉大学附属小学校 男子師範付属小学校
  14. NTT東日本 藤倉工業浦和分工場:この本によれば、この工場は、帝国製麻株式会社の跡地だったところに、昭和12年軍需工業会社として発足した、とあります。おそらく現在の藤倉ゴム工業株式会社だと思います。しかし、HPで沿革を見ると、「1920 大正9年 株式会社に改め藤倉工業株式会社を設立」とあるものの、浦和分工場についての記述は見当たりませんでした。
  15. 埼玉りそな銀行 浦和第二小学校:第二小学校は今の常盤小学校です。今は、No.16に移転されています。
  16. 北浦和公園・常盤小学校 浦和高等学校:これは旧制浦和高等学校で、現在の埼玉大学となりました。
  17. イオン北浦和店 埼玉工業株式会社:この本によれば、当時浦和唯一の株式会社で織物工場だったようです。
  18. JAさいたま谷田 市役所第二出張所:No.26もそうですが、当時市役所の出張所が2か所ありましたが、いずれの場所も現在はJAが使っています。
  19. 谷田小学校 第四小学校
  20. 仲本小学校 第五小学校分教場:仲本小学校はNo.22の本太小学校の分教場だったんですね。でも歴史は古い。
  21. 原山中学校 稲荷山園:稲荷山園とは何でしょう?ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
  22. 本太小学校 第五小学校:昭和13年当時の番号の一番大きな小学校です。
  23. 共済病院・社会福祉法人埼玉県共済会・尚和園 共済会養老院:埼玉県共済会は大正8年に埼玉県下の生活困窮者の救済を目的と設立されたそうです。尚和園は養護老人ホーム、特別養護老人ホームなどの各種福祉事業を行っているようですので、当時と同じ役割が今も継続されているようです。
  24. 浦和高等学校 浦和中学校:上のNo.11から移転し、その後浦和高等学校と名前が変わりました。
  25. 北浦和小学校 小学校予定地:昭和13年の段階で既に予定地とはなっていたものの、浦和市北浦和国民学校として開校したのは9年後、戦後となった昭和22年3月31日のことです。
  26. 木崎小学校・JAさいたま分館 浦和第三小学校・市役所第一出張所

  27. この他、北浦和駅西口駅前にガスタンクがあったのは知りませんでした。
    とりあえず今日はこんなところでしょうか。



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