11/25/2012

背景を変えてみました・・・

しばらくアンティーク絵葉書が続きそうなので,ちょっと気分転換に背景を変えてみました。

11/24/2012

アンティーク絵葉書 「箱根」

 今日は,箱根の絵葉書です。
 もう11月の下旬ですので,箱根駅伝も1ヶ月ちょっとですね。寒いはずです。

 全部で7枚ありました。とりあえず,タイトルだけ紹介しますと,

 ①相州箱根 宮ノ下全景
 ②相州箱根 長尾峠の富士
 ③相州箱根 塔の澤鐵橋
 ④相州箱根 宮城野の渓流
 ⑤相州箱根 木賀の渓流
 ⑥相州箱根 玉簾の瀧
 ⑦相州箱根 湯本の瀧

まあ,だいたいが今でも観光名所として残っています。いつものように何枚かご覧いただきたいと思います。

①相州箱根 宮ノ下全景:これは雪景色でしょうか?白黒写真なのでよくわかりません。



②相州箱根 長尾峠の富士:どうも富士山が怪しくないですか?いかにも後から描いたような…


③相州箱根 塔の澤鐵橋:箱根登山鉄道に今でも残っている早川橋梁(出山の鉄橋)のことだと思いますが,そうだとすれば大正6年(1917年)完成の鉄橋です。


 紅葉のシーズン,箱根は11月のこの3連休かなりの人出だったんでしょうね。たまには温泉にでも行きたい…

11/23/2012

アンティーク絵葉書 「運動会」

 今回紹介するのは,運動会です。

 なんで運動会が絵葉書になるのか,なかなか理解が難しいところです。
 以前このブログで台風の被害の状況を写した絵葉書を紹介した時にも書きましたが,テレビが普及していなかった時代なので,絵葉書が情報伝達ツールとして用いられていたのかもしれません。


 さて,いつものように写真をルーペでじっくり見てみると,右側の柱に「淺野造船所工友會」,左側の柱に「第一回陸上運動會」と書いてあるようです。

 淺野造船所ってどこにあるの?さっそくネットで調べてみると,

 浅野造船所(あさのぞうせんじょ)は、かつて横浜市にあった民間造船所。1995年に浅野ドックは閉鎖され、工場はユニバーサル造船京浜事業所に集約された。
  1916年(大正5年)4月 -(株)横浜造船所創立
  同年7月 - 造船所建設着手
  同年12月 - (株)浅野造船所に改称
(Wikipedia)

ということで,大正5年12月に創立した会社なんですね。その第1回運動会ですから,その翌年暖かくなってから開催された運動会でしょうか? 場所は,JR鶴見線の浅野駅付近なのかなあ?

 それでは,運動会の様子を何枚かご紹介します。造船所で働いている方たちだと思いますが,みんな一生懸命にやってます。


これは,大きな下駄を履いて競争してますね。選手も,鉢巻き姿だったり帽子をかぶっていたりで,なかなか楽しそうです。



これは,提灯を持って走っていますね。先頭の選手はぶれていますがかなりスピード感が出ています。



これは,仮装行列ですかね?左の方に大きな鶴を頭に載せている人がいます。

 この他にも何枚かありますが,今で言う障害物競走ばかりで,かなり娯楽的な要素が強かったように思えます。

 浅野造船所は,今は「ユニバーサル造船京浜事業所に集約された」とWikipediaにありましたが,もし関係者の方がこのブログをご覧になり,これらの運動会についてご存知でしたらお教えいただけるとありがたいです。

11/15/2012

今日がちょうど100年目「大正元年陸軍特別大演習」

今日は,絵葉書に記念のスタンプが押されているのを紹介します。



スタンプの下半分には「川越 大正元年十一月十五日」と書いてありますね。
大正元年は1912年ですので,ちょうど100年前,しかも11月15日って今日ではないですか!!

上半分は,ちょっと読みにくいけど,「大正元年陸軍特別大演習記念」と読めますね。

びっくりしましたね。ちょうど100年ですよ。
なんでこんな絵葉書が物置に眠っていたのかもわからないのに。
わたしの祖父,それとも曽祖父が演習を見物に行ったのか?
のちのち,誰かが絵葉書を購入しただけなのか?
昭和生まれの父もすでに他界しているので,もうわかりません。

大正元年陸軍特別大演習は大正元年(1912)11月15~19日の4日間、関東地方で実施されたそうです。
川越に本営が設置され,大正天皇は県立川越中学校(現在の川越高校)に宿泊されたそうです。
演習は,首都占領を目指す北軍に対し南軍がそれを防衛するという設定で行われたようです。

それでは,写真のリストと,その中から何枚かを紹介します。

御親閲 大觀兵式 御出門


北軍司令官大將子爵大島久直
 参謀総長大將子爵長谷川好道
 南軍司令官大將子爵大島義昌



③北軍師團長長岡中將
 北軍師團長山田中將
 南軍師團長閑院中將宮殿下
 南軍師團長木越中將


④騎兵斥候の難路通過 前衛の渡河

⑤軍橋渡河の密集隊 拂曉の展望

⑥騎兵團の襲撃


⑦機關銃隊の奮闘 突撃前の急射撃

⑧砲兵の猛撃 パ式の索敵飛行


次の写真はやはり大演習関連の記念はがきですが,スタンプが違います。
上段に「特別大演習記念」,中段に「埼玉県」,下段に「大正元年十一月」と書かれています。
ハガキの裏には「埼玉県発行」「東京ともゑ商会謹製」とあります。

行在所(あんざいしょ)」とは,天皇が外出したときの仮の御所のことで,現在の川越高校です。

100年の時を超えた偶然の出会いに感動を覚えながら,今日はベッドに入ることにします。

おやすみなさい

11/10/2012

アンティーク絵葉書 「大磯」

古絵葉書の整理は一休みと思っていたのですが,とにかくスキャニングだけしてしまおうと思い,土曜日の午後,せっかくのお天気ですが薄汚れたハガキをスキャナーに通しています。
スキャナーの内部が埃で汚れちゃうかな,とちょっと心配です。
(スキャナーはCanon DR-2510Cを使っています。)

スキャニングしたついでに何枚かご紹介。
今日は神奈川県大磯です。

①大磯名所 權現臺 安田善次郎氏石像
 安田財閥創始者である安田善次郎氏の旧別邸にある氏の大理石座像で,大正5年(1916)に百三十銀行から送られたとのことです。石像の上部には「祥致」と彫られています。


②大磯名所 天王臺小千疊敷頂上


③大磯風景 千疊敷頂上ヨリ富士ヲ望ム


 ②と③は同じ所なんでしょうか?どちらの写真にも四阿(あずまや)が写っていますが,形が違いますよね?同じ場所の四阿を建て替えたのか,それとも別物なのか?どなたかご存知のかたがいらっしゃいませんか?

ちょっと面白いのが次の写真です。

④大磯風景 千疊敷頂上全景


 頂上(と言ってもTOPがどこだかわかりにくいですが)に上の②と③の四阿らしきものが見えませんか?
 ちょっと大きすぎ?これだけ遠くに写っていてあの大きさだと大型のリゾートホテルなみの大きさのように思えます。
 拡大鏡で見てみると,どうやら手書きで書き込んであるみたいです。

⑤大磯風景 千疊敷十千亭
 ここはとても景色がよさそうです。方向がどちら向きかわかりませんが,富士山もよく見えたのかもしれません。


⑥大磯名所 虎御石境内
 『曽我物語』の虎御前縁の石「虎御石」は,曽我十郎の仇討ちの相手工藤祐経の刺客から十郎を守った石だそうです! この石は今でも延台寺に奉安されています。
 写真は寺の山門のようですが,左側に曽我兄弟の碑が建てられています。これは木製のように見えますが,インターネットで最近の状況を見ますと,現在は石碑になっているようです。
 山門自体も以前はずいぶんシンプルで,お寺というよりは普通の民家のように見えます。


⑦大磯八景 花水川の夕照
 夕照とあるので,カラーだったらよかったのに,と思いますが,しかたありませんね。想像力を働かせて昔の美しい景色を楽しみましょう。



11/03/2012

アンティーク絵葉書 「飛行機」

物置から出てきた古絵葉書,まだまだたくさんありますが,毎日絵葉書の謎解きばかりしているわけにもいかないので,とりあえず絵葉書シリーズは今回で一休みします。
 机の上がなんとなくホコリだらけになってしまいました。

今回紹介するのは,飛行機です。

①「ファルマン式」飛行機飛揚實况(於所澤)


②「ライト式」飛行機飛揚實况(於所澤)


③「ブレリオ式」飛行機飛揚實况(於所澤)


④バルセバール式飛行船(所澤町 山田屋呉服店)

①~③は,宛名を書く面が同じデザインなのでおそらく同時期に発売されたものだと思われます。
「ファルマン式」,「ライト式」,「ブレリオ式」とも初めて日本で飛んだ一連の飛行機です。所沢での飛揚実況とありますので,明治44年(1911)4月5日に所沢飛行場での初めての飛行試験日の状況を写したものかもしれません。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら,ぜひ解説いただけると有難いです。

④のバルセバール式飛行船は,ネットで調べると,明治45年(1911)6月にドイツから運ばれてきた飛行船で,大正元年(1912)8月30日に初飛行に成功と書かれています。
また,この写真には「所澤町 山田屋呉服店」と書かれています。現在は営業されていないそうですが,明治に創業してから所沢では誰でもご存知の大きなお店だったそうです。
明治44年(1911)の初めての飛行試験日の時にも,店を上げて一大イベントに協力されたようです。

所沢が「飛行機発祥の地」ということは同じ埼玉県民としてよく聞いていましたが,その当時の絵葉書が家にあったとは驚きです。

11/02/2012

アンティーク絵葉書 「大正六年東京湾台風」

大正6年9月30日,静岡県付近から上陸した台風は,関東から東北に抜ける途中,東京湾付近を通過する頃には満潮と重なったため,かなりの被害が出たということです。

台風が通過した翌10月1日の都内の災害の状況を記録した写真が絵葉書になっていました。
当時は,今のようにメディアが発達していたわけではないので,絵葉書がまさに情報の伝達,出来事の記録の媒体の一つだったのだと思います。

上野精養軒新舘倒る(大正六年十月一日暴風被害)



龜井戸附近の慘状(大正六年十月一日暴風被害)



11/01/2012

アンティーク絵葉書 「豊川名勝」

今回の絵葉書は,愛知県豊川市です。ほとんどが豊川稲荷の写真です。
まずはリストから…

①(豊川名勝) 豊川稲荷總門
②(豊川名勝) 樓門
③(豊川名勝) 豊川妙巖禪寺御本堂
④(豊川名勝) 再建築中ノ御本殿
⑤(豊川名勝) 豊川稲荷御本殿
⑥(豊川名勝) 豊川稲荷奥ノ院
⑦(豊川名勝) 豊川稲荷庭園之景
⑧(豊川名勝) 三重ノ塔

豊川稲荷には残念ながら参拝に参ったことがないので,いつものようにインターネットで写真に写っている建物などの建立時期など調べてみました。
今回ご紹介する絵葉書の中では,④の「再建築中ノ御本殿」というのがあります。

本殿は明治41年(1908)起工、昭和5年(1930)完成ということのようです。

そして⑤には完成後の御本殿が撮影されていますので,この絵葉書は昭和5年以降のものですね。

この写真をよく見ると両側に,再建のためのご奉納「金五萬圓」とか「金五千圓」と書かれた板が立っていますので,まさに竣工直後かもしれません。

でも,建築工事の状況を写した写真が「豊川名勝」と銘打った絵葉書集の中に含まれるのですから,なんとなく今と価値観が違うような気がしますね。

⑧の三重ノ塔は,大宝2年(702)創建の三明寺にある塔で,享禄4年建立だそうです。



これらの絵葉書の発行元は,はがきの裏面を見ると「ISUTSUI SEIKWADO SEI, KANDABASHI, TOKYO」と書いてありました。「いすついせいかどう」と読むんでしょうかね?

10/29/2012

アンティーク絵葉書 「静岡市近辺」

今回は静岡市の絵葉書が5枚です。

①靜岡名所 御用邸

明治33年に設置され,昭和5年に廃止,静岡大空襲で焼失してしまい,跡地は現在静岡市役所として使われているそうです。

②靜岡市 停車塲前通り

これは今の静岡駅前なんでしょうか?写真右側には「静岡市物産陳列館」,左側には「漆器陳列場」と書かれています。左側の建物は交番でしょうか?

③靜岡名所 淺間神社大鳥居

静岡浅間神社は,静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座されています。インターネットで鳥居の写真を見つけることができました。絵葉書が白黒なのでよくわかりませんが,今も,この当時のまま残っているように見えます。

④靜岡 賤機山ヨリ市街ノ眺望

「賎機山 眺望」と検索すると,現在の賎機山からの眺望を見ることができます。どの方向を眺めているのかわかりませんが,思ったほど雰囲気は変わっていませんでした。山の上から眺めると,大きなビルも比較的小さく見えるのでしょうね。カラー写真だったらもっと緑が目立つのかもしれません。

⑤靜岡 中藤屋旅舘(電話三百十八番)

3階建の立派な旅館です。ネットで名前を調べましたが静岡付近では見つかりませんでした。


現在の同じ場所からの写真と比べてみたいです。静岡市に詳しい方、何か情報を頂けると嬉しいです。

10/28/2012

アンティーク絵葉書 「横濱野澤屋呉服店」

今回の絵葉書は横濱野澤屋呉服店発行のものです。

野澤屋呉服店は横浜市にあった老舗デパートです。
残念ながらすでに閉店となってしまいましたが,この絵葉書を発行した当時はハイカラな街横浜のあこがれのお店だったのでしょうね。

絵葉書には記念スタンプ(?)が押されていて「峩山碩禪師大遠忌紀」と書かれています。遠忌とは,辞書を引くと「仏教諸宗派で、宗祖や中興の祖などの五十年忌ののち、50年ごとに遺徳を追慕して行う法会」とのことです。
日付は「9.4.1-15」となっているので大正9年でしょうか?(それとも昭和9年?)

写真には「大本山總持寺佛殿」「野澤屋呉服店」が写っています。

總持寺は横浜市鶴見区の曹洞宗の大本山の總持寺だと思います。
總持寺と野澤屋との関係はよくわかりませんが,もともと野澤屋創業関係者とのお付き合いがあったのか,それとも野澤屋を催事場として總持寺大遠忌に関する展示会などを開催したのかもしれませんね。

1枚の古い写真に写っている情報を頼りに調べていくのは,結構楽しいものですね。
私のブログをご覧になって,もし何かご存知の方がいらっしゃったらぜひお知らせいただけると嬉しいです。
一人ではなかなか調べても中途半端で終わってしまい,ちょっとモヤモヤ感が残ってしまいます。


アンティーク絵葉書 「夕張町 北炭」

絵葉書まだまだあります。
今回は北海道夕張です。大正から昭和初め頃の町の様子と北海道炭礦汽船(北炭)の施設などの写真9枚です。

①夕張町本町一丁目
②夕張町本通五丁目表通り
③夕張町本町三丁目
④夕張町本町五丁目西裏通り
⑤炭礦汽船會社夕張礦發電所(電壓三千三百ウオルリ)
⑥炭礦汽船會社夕張礦炭層露頭廿四尺層實寫
⑦炭礦汽船會社夕張礦炭層露頭十二尺層實寫
⑧炭礦汽船會社夕張礦斜坑(社光)ノ上白糸ノ瀧
⑨夕張炭山第一礦最新式撰炭機塲外部

①~④は町のメインストリートを写したもの。当時はシャッタースピードが遅かったんでしょうか?姿が霞んでしまっている通行人が見受けられます。
ところどころ判読できる文字があります。商店や医院の名前,看板の文字など。当時のお店や医者が今でも残っているかな,と思ってネットで調べてみましたが,今回は見つからなかったです

⑤~⑨は北炭の炭鉱や自家発電の施設,炭鉱近くにある白糸の滝などの写真です。白糸の滝の写真はネットで現在の状況を見ることができました。当時と滝の姿はほとんど変わっていないように見えました。
炭鉱施設は現在ほとんどその面影は失われているようで,当時の姿と比べることはできませんでした。

それにしても,なんで夕張の絵葉書が自宅の物置にあるのかはわかりません。


③夕張町本町三丁目


⑥炭礦汽船會社夕張礦炭層露頭廿四尺層實寫


⑤炭礦汽船會社夕張礦發電所(電壓三千三百ウオルリ)
「三千三百ウオルリ」って「三千三百ヴオルト」のことでしょうか?



⑧炭礦汽船會社夕張礦斜坑(社光)ノ上白糸ノ瀧

どの写真もモノクロですが,それが石炭の黒さを一層際立たせているような感じがします。

10/27/2012

アンティーク絵葉書 「山梨の昇仙峡」

先日のブログでご紹介しましたが,物置から古い絵葉書が出てきました。

同じ仲間ごとに整理してあるわけではないので,まず,分類して,スキャンして,それで,2,3日前に買ってきたはがき用のポケットファイルに保存することにしました

さて,今回ご紹介するのは,山梨の昇仙峡の絵葉書で,全部で8枚あります。撮影されたのがいつ頃なのかはわかりません。

私は昇仙峡に行ったことがありませんが,現在の様子との違いをインターネットで検索して比べてみると,歩道がアスファルトに整備されていなかったり,観光客が和服姿だったりで,時の経過を感じることができます。しかし,大自然そのものはほとんど変わっていませんね。

はがきの宛名を書く面には「郵便はかき」「UNION POSTAL UNIVERSELLE. CARTE POSTALE」と印刷されています。

写真は白黒で,いずれの写真も楕円形にトリミングされていて,そのの下に写真の説明が書かれています。

いずれのはがきにも「甲府市柳町宮井商會製」と書かれています。柳町という地名を地図で探しましたが見つかりませんでしたが,インターネットで検索すると,「民芸・観光・その他製品」のジャンルで甲府市内に宮井商会という会社が見つかりました。
観光関連の業務をされているということですから,この絵葉書も作られたのではないかと思います。

①(甲州御嶽)長潭の下流
②(甲州御嶽)昇仙橋
③(甲州御嶽)富士石及轆轤瀧
④(甲州御嶽)覺圓峰
⑤(甲州御嶽)石門
⑥(甲州御嶽)仙娥瀧
⑦(甲州御嶽)浮石及雪紅瀧
⑧(甲州御嶽)和田峠の富士


④(甲州御嶽)覺圓峰




⑥(甲州御嶽)仙娥瀧



⑦(甲州御嶽)浮石及雪紅瀧

10/23/2012

古い絵葉書がたくさん出てきました

例によって物置の片づけをしていると茶色い紙に包まれた物が出てきました。



結構古い包装紙ですが,これは今でも営業を続けていらっしゃる北浦和の「モリ商会」のものです。
この写真では見えませんが,「モリ商會 電話浦和二二九番」と書いてあります。電話番号を見ただけでもかなり前の物ですね。

ちなみにインターネットでモリ商会さんの沿革を調べてみますと…

大正10年 東京新橋に果実店を開店
大正12年9月1日 関東大震災
        川口に避難して洋品店を開店
昭和3年3月27日 浦和に移転
        合資会社モリ商会を設立
        第二次世界大戦 激化により休業
昭和23年   北浦和にて衣料品店を開店
昭和57年    浦和のコルソ店を開店
昭和62年    武蔵浦和店を開店(現在閉店)
平成21年   大宮サティ店開店

ということですので,とっても歴史あるお店です。(実は約35年ほど前,まだ私が高校生の頃,体育着や運動靴はモリ商会さんで買いました)

さて,包みを開いてみますと,中には古い絵葉書が入っていました。



これから1枚1枚の絵葉書に何が写っているのか調べてみようと思います。興味深いのがありましたら,このブログでご紹介します。
続きはまた…

10/14/2012

市長會記念写眞

今日ご紹介するのは「市長會記念写眞」です。2枚あります。
2枚とも私の祖父が写っていますが,市長だったわけではありません。当時川口市役所(埼玉県)に努めていたので同行させてもらっていたのだと思います。

2枚の写真とも日付と場所が記載されていませんが,写っている風景や写真と一緒に保存してあった封筒などからある程度推測できます。

(今後,時間があるときにでも,もう少し突っ込んで調べてみたいと思いますが…)

ところで「市長會」って何?
全国市長会のHPからその沿革を引用しますと,以下の通りでした。

 明治22年4月1日、「市制町村制」の施行と同時に全国に31市が誕生しました。 明治31年5月18日、岐阜市において関西各市の代表が集った際、関西各市聯合協議会の設置が決定され、毎年1回会議を開催し、諸問題について協議することとされました。 この関西各市聯合協議会が全国市長会の発祥です。その後、毎年1回、各都市の持ちまわりで会議が開かれました(明治37、38年は日露戦争のため開催されず)。

上記の「関西各市聯合協議会」が、「全国市長会」になるまでの変遷は次のとおりです。

 日露戦争後の明治39年11月に奈良市で開かれた第7回会議において、全国の市(北海道と沖縄を除く)を会員とすることとし、その名称が全国各市聯合協議会に改められました。

 大正3年11月に京都市で開かれた第14回会議では、北海道、沖縄の各区(北海道、沖縄 では市制でなく区制が施かれていた)についても会員とするため、名称が全国各市区聯合協議会に改められました。

 その後、北海道、沖縄でも市制が施かれたことから、大正12年10月に静岡市で開かれた第23回会議において、名称が再び全国各市聯合協議会に改められました。

 昭和5年5月に宇治山田市(現在の伊勢市)で開かれた第30回会議では、大幅な機構改革を行うとともに、名称を全国市長会と改め、今日に至っています。



それでは,1枚目の写真です。



写真に「第三拾六回全國市長會記念撮影」と書いてあります。前述の全国市長会のHPの情報から推測すると昭和11年に開催されたようです。
また,写真を包んでいた封筒には「川口市役所御中 市長會記念写眞在中二葉 富山市役所」と記載されており,また,写真そのものにはエンボス加工で「富山寫眞舘 島川義雄」と押されています。
今も写真屋さんとして続いているのかどうかはわかりません。

次に,2枚目の写真です。



写真には特に年代を特定する情報は記載されていませんが,写真を収めていた封筒に手書きで「市長会議記念写真在中 高知市」と書かれており,また,封筒そのものには「高知市本町下二丁目 溝淵寫眞舘 電話一七七七番」と印刷されています。

前述の全国市長会のHPからは高知市で開催されたがいつなのかはわかりません。
今度,全国市長会の事務局さんにでも問い合わせてみたいと思います。

さて,この場所はどこなのか?ということで,中央の銅像を拡大してみると「板垣退」という文字が何とか読み取れました。
そこで高知市,板垣退助像で検索すると「高知公園」であることがわかりました。
(高知の方なら見ただけでお分かりだと思いますが,私は高知に行ったことがなく…)

でも,今の銅像は戦時中の昭和18年に金属回収のため供出されることになり、昭和31年に再建されたもののようです。
この写真に写っているのは大正12年12月5日に除幕されたものということですので,高知市開催の全國市長會はそれ以降に開催されたのは確かなようです。
(ところで板垣退助像の新旧の写真を比べると今のほうが右手を高く上げて指さしているように見えます。)

インターネット検索を使うとわずかな手がかりでも古い写真のことがわかるものですね。

6/19/2012

今日は写真を撮る暇がなく・・・

しばらく仕事が忙しくてブログの更新ができませんでした。

いつも障害者の団体に読み終わった本をお譲りしていますが,今日引き取りに来ていただけるということで,何冊か引っ張り出してきました。

いつもは写真を撮って本の紹介をしていますが,今日はちょっと時間もなくて,タイトルだけの紹介となってしまいました。

林望「書斎の作り方 知のための空間・時間・道具」
ちょうど家を新築したころに買った本です。ずいぶん参考になりましたが,結構散らかっていて,とても知を生み出す合理的な空間にはなっていません。

やましたひでこ「新・片づけ術 断捨離」
やましたひでこ監修/川畑のぶこ「断捨離のすすめ」
散らかった空間をすっきりさせ,知を生み出す合理的な空間を取り戻すため(?)に随分役に立ちました。足の踏み場が少し出来てきました。

畑村洋太郎「直観でわかる数学」
少しは数学の理解が深まるかな,と期待して購入しましたが,そう簡単にはいきません。畑村先生は,福島第一原発事故の調査委員会の委員長でしたね。

「就職試験これだけ覚えるSPI高得点のコツ」
私の勤めている会社ではSPIは使用していませんが,新人採用に少し携わることになったので買ってみました。難しくて全く歯が立ちませんでした。最近の若者は大変です。頑張れ!

「自分の値段がわかる本」
これは先輩に頂いた本ですが,自分の価値を自己採点,査定するためのテストです。実際にこの手のテストをやってもろくな結果が出たことがないので,今回は我慢しました。


「知らないと恥ずかしい 「日本の名作」あらすじ200本」
朱川湊人「かたみ歌」
つげ義春「ねじ式/夜が掴む」
このあたりに来ると,あまりポリシーなく,読んでいるという感じです。

Microsoft Project98 ステップバイステップ」
マニュアル本です。試用版ソフトが入っているCD-ROMが付録でついています。

なんとか10冊お譲りできそうです。よかった~。



4/17/2012

釣りの本



 いわゆるHow To本です。

 転勤で家族そろって茨城県に住んでいた時,当時小学生だった子供たちと一緒に涸沼にハゼ釣りに行くことにしました。
 妻が,釣りってどうやってやるの?ということで買ってきたのが「必ず釣れる はじめての人の釣り」です。

 しかし,妻はこの本を読んで,「餌をつけるのは絶対に無理」ということで,私が二人の子供を連れて行くことに。

 結局,二人の子供も餌のゴカイをつけることができず,私はほとんど餌付け係,さらに二人が並んで座っているものだから,一人が竿を上げると隣の竿の釣り糸と絡まってしまって,それを解くのに一苦労,という感じで自分の糸を降ろすこともできませんでした。

 朝早くから舟に乗って涸沼の真ん中に連れて行ってもらって,お弁当食べて,ビールを飲みながら昼過ぎまで,3人でハゼ釣りに格闘しましたが,1匹もつれず,残念な結果になってしまいました。(格闘したのは私一人だったような気もしますが…

 でも,息子はその後,近所の友達と近くの釣り堀に行くようになり,今では餌も平気で付けられるようになったようです。

 もう子供たちも二人成人してしまい,あの時のように一日舟の上でのんびり過ごすなんてことは今となっては遠い思い出になってしまいました。

4/16/2012

手塚治虫と長谷川町子

 今日は,手塚治虫先生の漫画「華麗なるロック・ホーム」とサザエさんの長谷川町子先生のエッセイ(対談集)「長谷川町子思い出記念館」です。

 手塚作品では,先生の作品に登場するキャラクターを,劇団員のようにいろいろ役を変えて別の作品に登場させる,いわゆる「スター・システム」が使われていました。

 ヒゲオヤジ,お茶の水博士,アセチレン・ランプ,ハムエッグ…などなど,多くのスターがたくさんの作品に登場するのは皆さんご承知のとおりで,ロック・ホームもその中の一人です。

 「ブラック・ジャック」とか「火の鳥」など作品別に文庫版が発行されるのはよくありますが,スター・システムのスター一人ひとりにスポットライトを当てて編集された本は珍しいと思って,書店で見つけて買ってしまいました。

 ロックも,初期の漫画では真面目な少年というキャラでしたが,次第にクールでやや邪悪な心を隠し持つ青年というキャラクターに変わっていくのがわかります。

 河出書房のこのシリーズには,ヒゲオヤジなど別のスターを特集したのも発行されていると思いますが,残念ながら,購入したのはこの1冊だけでした。スター別に特集したということで,目新しいと思いはしたものの,やっぱり既に別のところで読んだお話ばかりなので…

 もう1冊は長谷川先生のエッセイです。子供の頃,我が家では朝日新聞を購読していたので,毎朝サザエさんを読んでました。そして母がやはりサザエさんのファンだったので,単行本の「サザエさん」「いじわるばあさん」は一通り揃っています。

 サザエさんは全て目を通したけど,それを描いた長谷川町子先生ってどんな方?ということは,ほとんど知らなかったので,これも書店で衝動買いしてしまったものです。
 今や国民的なキャラクターとなっているサザエさんを世に出した作家の生の声が伝わってきて,面白かったです。

 もう60年以上前に生まれたサザエさん一家ですが,世の中がこれだけ変わっても家族や周囲の人たちとの関係は変えずに,また,作者ご本人がお亡くなりになっても,綿々と引き継がれて活躍しているってすごいことだと思いませんか?




4/15/2012

綿矢りささんの「蹴りたい背中」

 綿矢りささん,先日「大江健三郎賞」を受賞されましたね。

 綿矢さんといえば,平成16年に史上最年少で芥川賞を受賞されています。

 それがこの「蹴りたい背中」です。



 19歳でこんな賞をとってしまうなんてすごいなあって思っていたら,そのうち妻がハードカバーを買ってきてくれました。第153刷ですので相当売れたのでしょうね。

 綿矢さんはうちの息子より4つか5つくらい年上でほとんど同世代の範囲だと思うのですが,どういうふうに育てればあんな本を書けるようになるのかな,なんて思ったりしましたね。

 大江健三郎賞の「かわいそうだね?」楽しみにしています。

4/14/2012

算数・数学が楽しくなる・・・

 今日は,エンツェンスベルガーの「数の悪魔」です。

 「算数・数学が楽しくなる」というので買ってみました。

 算数が嫌いなロバート君の夢の中に「数の悪魔」が毎晩出てきて,ゼロの話,素数の話,無限大の話,順列と組み合わせ…,難しい数学の考え方をわかりやすく説き聞かせるというお話です。

 イラストが絵本風で,1ページの文字数も少なめですっきりしているので,読みやすそうな感じですが,やっぱり難しいお話は難しいということで,最後まで読み通すのは結構きつかった。

 本の帯に「10歳からみんな 数の悪魔が数学ぎらい,治します!」とあったので,50歳超えている私でもきっと好きになれるに違いない,と思ったのに…。