オッと目にとまったところを順不同で書いていきます。
●浦和連合青年団・浦和連合女子青年団
その設立の経緯などが記されています。事務所が第一尋常小学校内に置いたとあります。青年団の活動そのものについてはこの本には特に記載はありませんが、以前、昭和11年9月1日発行 埼玉縣聯合男女靑年團 修養指箴(修養指針)をご紹介しましたのでそちらをご覧いただけば多少ご参考になるかと思います。
●金融機関
昭和13年当時、浦和に店舗を構えていた銀行・生命保険会社です。掲載順に記載します。
【銀行】武州銀行、武州貯蓄銀行、日本勧業銀行、昭和銀行、第八十五銀行
【生保】第一生命、仁壽生命、三井生命、明治生命、日清生命、千代田生命、愛国生命、日本共立生命、安田生命、帝国生命、太陽生命、昭和生命、第一徴兵
現在はその名前が残っていない機関が多く、現在の金融機関との関係がわかりにくいですが、銀行については、一般社団法人全国銀行協会のHPの「銀行変遷史データベース」、生保は一般社団法人生命保険協会のHPの「生命保険会社各社の変遷図」で現在までの統廃合の状況がわかります。
●浦和人物鳥瞰
当時の浦和市で活躍された名士の紹介です。学歴、職歴、出自、人柄、趣味など詳しく書かれていて、自宅の電話番号や子供の名前・年齢なども書かれている方もいます。個人情報の取り扱いが厳しくなった今の時代ではここまで紹介するのは難しいでしょうね。
埼玉県知事、浦和市長、市会議員、弁護士や教育、医療、商工業など様々な分野の名士69名について24ページを割いて紹介されています。
その中でこんなところでまた見つけてしまったお名前がありました。大久保通次氏です。私のこのブログで以前「大正時代の歯の衛生の本」という小冊子を紹介しましたが、その著者が大久保歯科医院・口腔外科医院の大久保通次氏でした。文学的な序文を書かれ、また、歯みがきの啓蒙のため自費でそのような小冊子を配布するなど、素晴らしい方がいらっしゃったんだと思った次第です。大久保歯科医院の住所が「浦和町表門通」ということくらいしかご本人の情報がなかったのですが、今、ずいぶんと明らかになりました。
京北高等歯科医学校長、大久保通次氏は学校長としての人格を持つだけに同校の発展を見ている。元埼玉会館前に新築開校されたものだが、今は大宮町に移校されて爾来発展を続けている。同校は男子にて歯科医師たらんとするものは必須な学術を教授するを目的とされ、今や数百の卒業生を出して成績優秀さは氏の熱心なる賜である。歯科医学校の校長先生もなさっていたのですね。現在大宮区に同名の歯科があり、HPを拝見すると、院長さんのおじいさまが昭和16年に開業されたとあります。埼玉評論のこの雑誌には、昭和13年の時点で既に大宮町に移ったとありますので直接の関係はないのかもしれません。
●広告いろいろ
埼玉評論のシリーズその1の冒頭に書きましたが、目次に掲載されている162ページの後ろに80ページくらい広告が掲載されています。その中からいくつか紹介します。
- 浦和市医師会会員:医師会会員45名の診療科目、氏名、町名、電話番号が掲載されています。電話番号はたった4桁の数字が書かれているのみ。今でも続いているところもたくさんあります。内科、小児科、産婦人科、外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、呼吸器科、泌尿科、肛門科といったお馴染みの科の中に「花柳病科」というのがありました。何となく想像はできます。
- 浦和産婆会員:お産婆さんお一人お一人のお名前と住所が書かれています。何と驚くことに私を取り上げてくださったお産婆さんのお名前を見つけました。意外な感じもしますが、この本が発行されてから僅か22年後に私が生まれたのですから、それほど不思議ではありませんね。
- 書籍文具紙店:須原屋書店、佃文教堂など今も営業されているお店もありますが、もう閉店してしまったお店の名前を見つけると懐かしさ、寂しさ、残念さが入り混じった何とも言えない気持ちになります。
- 浦和撞球場:ビリヤードですね。昭玉(警察所裏)、ウラワ(浦和駅前)、みやこ(埼玉会館内)、美枝子(東京電燈会社前)、東(八十五銀行横通)、明石(浦和公会堂前)と狭いエリアに6軒もあります。人気があったのでしょう。
- 浦和芸妓連:14軒もあります。店の名前、電話番号、芸者さんの名前が並んでいます。そして幇間が1軒。今は浦和に芸者さんはいるのでしょうか?
- 生徒募集広告一覧:既に紹介した浦和女子洋裁学校、宮崎裁縫高等女学校、埼玉中学校、そして大久保通次氏の京北高等歯科医学校の他に、大宮農商学校、与野農商学校が掲載されていました。Wikipediaをみると大宮農商学校は埼玉県立大宮高等学校の前身の一つとのこと。与野農商学校は当時与野町外六ヶ村立(木崎村、六辻村、土合村、大久保村、植水村、三橋村)の学校で埼玉県立与野高等学校の前身です。しかし、複数の自治体共同で学校を設立していたんですね。
- 著名業者:これはいろいろあります。以前ブログで紹介した「洋品百貨のモリ商会」、中山道にお店を構える「浦和漬の酒井甚四郎商店」、浦和駅西口を出て左手に見える「袋物専門油屋カバン店」、旧中山道調宮神社前「石井銃砲店(今は浦和銃砲火薬店)」などはもう創立80年以上ということですよね。
今では無くなってしまったものもあれば、80年以上前から姿形は変わってもずっと引き継がれて今も続いてものもある。
私のふるさと浦和にいっそう愛着が湧いてきたような気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿