6/10/2019

続:Olympus Chrome Six Mod.III 説明書(英文)

先日のブログで「Olympus Chrome Six Mod.III 説明書(英文)」をご紹介しました。

これは、どちらかというとカメラの特長や性能について説明された内容でしたが、今度はカメラの取り扱い方法が記された取扱説明書(英文)が出てきました。



表紙をめくると、Olympus Chrome Six の仕様・特徴が書かれていて、オリンパスZUIKOレンズやCOPALシンクロシャッター、セルフタイマーの装備、フラッシュのシンクロ化などが紹介されています。



そして、もう一ページめくると、カメラの構造図が出てきて、その後のページからそれぞれの取り扱いの説明が始まります。


後ろのページには、鉛筆で英単語の日本語訳がところどころ書き込まれていましたが、日本語の説明書はなかったんですかね?


6/05/2019

郵便局 風景印・記念印

私が小学校高学年から中学生にかけて、だいたい昭和45年~50年の頃、国鉄の駅のスタンプとか郵便局の風景印や記念印を集めていました。
それで今でもスタンプラリーのイベントはとにかく全部制覇したくなってしまうという悪い習慣が身についてしまっています。


右下の1枚は「長崎開港400年記念」の記念印で、それ以外は全て風景印です。
長崎開港の記念印ですが、押印したのは福岡郵便局となっています。

小学生の私が当時九州などいったこともなかったので、どなたかにいただいたものだと思います。

上段左から
宇和島駅前郵便局(愛媛県)、焼津郵便局(静岡県)、下里郵便局(和歌山県)
松山大手郵便局(愛媛県)、相良郵便局(静岡県)、浜坂郵便局(兵庫県)

下段左から
札幌中央郵便局(北海道)、岐阜北郵便局(岐阜県)、光郵便局(山口県)
浦和郵便局(埼玉県)、東京中央郵便局(東京都)、長崎開港400年記念(福岡郵便局)

東京中央郵便局のスタンプは、裏面に薄く能面<姥>が印刷されたJAPEX70(全国切手展)の記念ハガキに押されています。

今は、日本郵便のHPで全国の風景印を検索することができます。
このHPを見て知りましたが、風景印も新しくなったり廃止されたりと新陳代謝が激しいようです。
確認はしていませんが、ここで紹介したスタンプのデザインはもう使われていないのでしょうね。



5/02/2019

シンセサイザー アナログからデジタルへ

平成から令和にかけての長期お休みを利用して家の片付けや庭の草むしりをしています。
そしたら物置から私にとってとても懐かしい本が出てきました。
音楽之友社発行の「シンセサイザー操作事典」です。

すっかり忘れていた私とシンセサイザーとのお付き合いについて書きます。

中学、高校と洋楽にはまっていて、当時モーグ・シンセサイザーというアナログシンセサイザーの斬新で変化のある音に興味津々でした。
そういうこともあり、昭和50年代後半頃、電気工作の雑誌の広告でシンセサイザーキットを見つけ、購入しました。
キットと言っても、基盤とパーツ(ICチップ、抵抗、コンデンサーなど)のみで、シャーシ(ケース)やキーボードなどは別途自分で手配しなければなりません。
それでも何とかパーツ屋さんを回り、空いている時間でシャーシの穴あけをしたり、はんだ付けしたりして、1年くらいかかったと思いますが、何とか音を出すところまで漕ぎつきました。


そのシンセサイザーはデジタルではなくアナログです。
音は空気を振動させる波なので、電子回路でその波を作り出すのですが、波の形、間隔、高さなどを変えると、音の三要素である音色、音程、音量を変えることができ、その結果、様々な音を作ることができます。
本体は、横幅60~70㎝×奥行40㎝×高さ10~15㎝くらいで、側面、下面は木製板で上面はアルミ板(自分の手作業です)。
ケースの中に100V用の重いトランスも取り付けていたので、相当の大型・重量級だった割には、単音しか出すことができません。
つまり、和音のように同時に複数の音を出すことができないのです。
キーボードはミニオルガンの鍵盤を取り付けましたが、結局指一本で弾くことになります。(ピアノやオルガンを弾けない私にはちょうど良いのですが)
さらに、やはりアナログの特性なのか、使っているうちに音が少しずつ変わってきます。
これはパーツが通電されて温度が上昇し、それに伴って特性が変化してしまうのでしょうか。
厳密には、同じ音は二度と再現できないというのが特徴ですね。
なかなか思った通りの音を作るのが難しいのです。
オシロスコープなどがあれば、ある程度波の形を見ながら調整できたのでしょうが、とにかく、回路のたくさんのつまみを適当にいじりながら音の変化を楽しんでいました。
また、アナログなので、例えば何かの記録媒体にデータを保存することもできません。
ツマミの位置をメモに取って残しておくくらいですね。

そんな中、たまたま書店で見つけたのがこの「シンセサイザー操作事典」。
木管楽器、金管楽器、弦楽器、鍵盤楽器、撥弦楽器、打楽器の他、風、地震、ネコ、小鳥などの自然音、サイレン、ヘリコプターなどの人工音などの「波」を作るためのパラメータが纏められています。
「こんな本があったのか!」と思い、即購入しました。
本を見ながらいろいろと音を作って遊んだものでした。

しかし、その後2~3年したら、ヤマハからMUSIC COMPUTER CX5というFM音源を備えたパソコン(MSXパソコン)が発売されました。
CX5のスロットにFMサウンド シンセサイザーユニットやミュージックキーボードを接続するとなんとデジタルシンセサイザー、しかも、複数音同時発生可能のシンセサイザーとなってしまうのです。ちょうどMIDIの出始めの頃だったと思います。
ちょうど就職して給料も入ってきた頃だったので、思い切ってパソコン本体と付属機器を一式購入しました。
さすがにモニターまで買う予算がなく、テレビにつないでいました。
記録媒体もフロッピーディスクではなくカセットテープでしたね。
プリセットされた音源は、いつも同じ音色を再現してくれます。
アナログで苦労した音作りの手間もなく、高音質の音源が手に入り、また、楽譜の入力、保存もできるのです。(楽譜の入力は物すごく面倒でした。マウスもなく、音符一つ一つに音程、長さ、強さなどを数字で入力したような記憶があります。それでも画期的であることは間違いありません。)
しかし、当時のパソコンはやはり性能が悪く、例えば16分音符や32分音符が続くとテンポが遅れてしまったり、楽譜を読み込むときにはにデータをカセットテープから読み込む必要があるので1分、2分待ちは当たり前、という感じで、とても人前で聴かせることは無理でした。
独身寮の自室でシコシコ楽譜を入力し、それにあわせてギターの練習をしたりしてました(暗い😞)。

その後、新しいパソコンを購入しましたが、シンセサイザーの付属機器はつかえず、何年か後に泣く泣く廃棄しました。(MSXパソコンの時代はあっという間でしたね。)

平成に入るとMIDI楽器で安い電子ピアノが多くの楽器メーカから発売され、子どもの楽器の練習用に購入しましたが、もともと鍵盤の弾けない私は触ることもなく、私とシンセサイザーとのお付き合いはその時点で終わってしまいました。
(でもサンプリング機能もついていたので、子どもの声をサンプリングして低い声や高い声にして遊びました。)

この本が見つからなかったら、この思い出はすっかり忘れていました。
記憶がかすれてしまうのに驚きましたが、ページをめくりながら一気に細かいことまで思い出すことができ、とてもうれしい気持ちです。

4/14/2019

彦根名園 料理旅館 楽々園

「彦根名園 料理旅館 楽々園」というパンフレットが出てきました。

特にいつ頃のパンフレットなのかは書かれていませんが、中を見ると、電話番号が「彦根局105番 106番」とまさかの3桁の時代です。
昭和30年代に生まれた私ですら、自宅の電話番号は市外局番4桁+市内局番2桁+4桁の10桁でしたね。

2枚目の写真の下の方に彦根小唄、彦根ばやし、大江戸吹雪といった彦根や井伊大老を題材とした唄の歌詞が掲載されていますが、ネットで検索すると彦根ばやしと大江戸吹雪が昭和35年発売のようですので、昭和30年代後半のパンフレットなんでしょう。(歌詞の部分が内側に折込まれるので逆さまになっています。)

一応旅館のパンフレットなのに彦根の名勝の紹介がほとんどで旅館の案内というと、
収容人員 御宿泊の場合 約50名様
     御宴会の場合 約60名様
客  室 大広間 他 小間数室
     浴室設備完備
だけで、料理や宿泊費などの情報もありません。

彦根市のHPに楽々園の由来がわかりやすく書かれていました。
もともとは、彦根城「4代当主井伊直興により延宝5年(1677)から2年を要して造営された彦根藩の下屋敷」でしたが、
明治14年から平成6年までは民間業者により「旅館楽々園」として旅館営業がなされていました。
とありますので、今では旅館としての営業はしていないようですね。



上であげた彦根市のHPでは「楽々園の古い写真を探しています」と書かれていますので、こんな資料ですが、一度連絡してみようかと思います。

4/07/2019

Olympus Chrome Six Mod.III 説明書(英文)

オリンパスカメラの古い説明書が出てきました。
英語で書かれたものです。
タイトルは「Olympus Chrome Six Mod.III 」で、
表紙には、
"The first roll film camera that have a film plane corrector in the world."
(フィルム面補正装置を備えた世界最初のロールフィルムカメラ)
と書かれています。



子供の頃、わが家にあったカメラはたぶんオリンパス製だったと思いますが、こんな蛇腹のついたカメラではなかったので、きっと父の兄弟が購入したのかもしれませんね。

以降、フィルム面補正装置の特徴が解説されています。
この装置が装備された場合の効果がデータをもってきちんと説明されています。







この説明書の発行時期はどこにも書かれていませんが、オリンパスのHPを見ると1951年(昭和26年)に発売されたとのことです。

2/17/2019

昭和36年 新日本電気株式会社「照明器具に関する調査」

1961年(昭和35年)新日本電気株式会社商品計画部商品課からの「照明器具に関する調査」というアンケート調査票(表紙を入れてB5版5ページ)です。
私が1歳になったばかりで、両親が家を新築していた頃です。
照明器具もおそらく新規購入したと思いますので、それらにこの調査票が添付されていたのでしょう。以前紹介した新日本電気(NEC)家庭電化品カタログと時期が同じです。
もしかするとそのカタログとセットだったのかもしれません。

 調査の内容は、

  • 白熱灯と蛍光灯はどちらがよいか?
  • 洋室(居間)と和室(座敷)にはどんな照明が相応しいか?
  • 蛍光灯の光のイメージは?色や値段はどのくらいが適当か?
  • 丸型天井吊蛍光灯はどんなデザインがよいか?
  • 蛍光灯スタンドのデザイン、明るさ、アクセサリー(装飾的なもの、実用的なもの)

といったものです。

 この時代の家庭の電化状況や蛍光灯の普及状況はどうだったのでしょうか。
私には新築される前の家の記憶はほとんどなく、古い写真を見た限り我が家には蛍光灯は無かったのではないかと思います。笠のついた電球が天井からぶら下がっていただけだと思います。
 現在、蛍光灯からLED照明へ移行しているところですが、昭和30年代は白熱灯から蛍光灯へ移行するような時期だったのでしょう。

2/09/2019

川口市立文化財センター分館郷土資料館さまに資料を寄贈しました

以前「川口市 市制施行記念絵はかき」というタイトルで昭和8年の川口市制施行にあわせて発行された絵葉書をこのブログで紹介しました。
そうしたところ、川口市立文化財センター分館郷土資料館さまからお問い合わせをいただき、以下の資料をお譲りいたしました。
最後の絵葉書は川口市とは関係がありませんが、お譲りしようとした資料の中に入ってしまったようです。
しかし、こういう資料を大切に扱って下さる方、しかも今回は公的な機関にお譲りできましたのでうれしいです。

資料をお譲りする手続きのために資料館に伺った際、学芸員の方に常設展、企画展を一通りご案内していただきました。お忙しい中、贅沢な対応をしていただきありがとうございました。
企画展は「変わる街 変わる暮らし」(2019/1/16~3/10)というテーマで、1950年代から90年代辺りまでのおもちゃ、電気製品などの実物が展示されていて、非常に懐かしく楽しませていただきました。
40代後半以上の方であれば、同世代の人と一緒に見に行けば、盛り上がること間違いなしです。

そして、今週、市長から「資料受領書」と教育長から「お礼状」が届きました。
寄贈した資料の代わりに大事に保管しておこうと思います。