7/28/2013

大阪に行ってきました

先週は珍しく大阪に出張でした。大阪万博は小学校4年生の頃でした。

7/21/2013

株式会社南口商会商報(蚊帳号)/昭和12年

昭和12年に発行された今で言うカタログ販売通信販売の案内です。
これは,「蚊帳号」と書かれているので,蚊帳(懐かしい言葉です)の通信販売特集号のようです。

発行者は,奈良県生駒郡片桐という所にある卸問屋の株式会社南口商会というので,どこかの駅の南口(みなみぐち)にでも店を構えた会社なのかと思っていましたら,同封されている注文書に南口(ナンコ)とふりがなが振ってありました。

まずは,どんな資料がはいっているのかご紹介します。

全体の構成は,
①A4サイズくらいのカラーの厚紙を二つ折りにした表紙の間に,
②社長ご挨拶文と蚊帳のカタログ(裏面には会社概要や購入者への特典が記載),
③その他の商品のカタログ,それに注文書(ハガキ)からなっています。


①表紙

夏の海辺でビーチパラソルの下でバカンスを楽しむ水着姿の二人の女性のイラストです。
これを二つ折りにしてその間に以下のカタログや注文書が挟まっています。「蚊帳号」と書かれている通り,蚊帳を販売するのが目的の通信販売カタログですね。
この南口商会というのは,蚊帳の製造販売を業としている会社です。
裏側には「蚊帳号」発行に当たっての特別奉仕品などの紹介が書かれています。
・大増資記念特別奉仕売り出し

・常に最低価格を以って最優良品を提供し其製造販売高に於て本邦蚊帳界の首位を掌握し斯界をリードしつゝある我楠公蚊帳は…

・仝じく大楠公を商標とせる姉妹会社のテイチクレコードは今や吾国各方面の一流芸術家を殆ど網羅し…

・他社の壱円五拾銭盤をはるかに凌駕し而も価格は最低の壱円を以って臨み名実共に眞にレコード界のレコードを破りつゝある…

・この大飛躍大発展に依る増資を記念として世に定評ある弊社独特の左記特製の二品を犠牲的に五萬張を限り破格の値段を以って特別奉仕売り出しを敢行…

・代金は全部月賦とし毎月末迄に御払込被下度…
蚊帳の製造販売をしている会社がテイチクレコードと姉妹会社とは驚きです

②蚊帳のカタログ

南口商会社長である南口重太郎氏のご挨拶文です。
・皆様の御厚眷に撫育せられ吾大楠公印二大製品たる楠公蚊帳及テイチクレコードは共に駸々たる躍進を遂げ幸ひ今日の盛運に恵まれたるは…

・弊社はこの大発展に伴う増資を記念して一般暴騰を度外視し今期に限り昨年度通りにて一切値上げを不致…

・而も二重景品付き記念売出を敢行致しました…

・奈良地方御遊覧の際は御参考の為め御遠慮なく蚊帳工場及レコード工場御参観ください

株式会社南口商会
帝国蓄音器株式会社 社長 南口重太郎

南口重太郎氏をインターネットで調べると(Wikipedia「テイチクエンタテインメント」)
南口重太郎が大阪にスタンダード・レコードというレコード会社を設立。この会社はのちにテイチクの一工場となる。南口は忠臣楠木正成を崇拝しており、このとき「楠公印」のレーベルマークを商標登録、のちにテイチクでも使われる。

1931年(昭和6年)2月、吉川島次と南口重太郎が合資會社帝國蓄音器商會を設立。本社・工場を奈良県奈良市に、事務所・録音スタジオを川西市花屋敷においた。当時、吉川は現在の大和郡山市で、農業を営みながら蚊帳などの問屋をしており、副業として、この会社で蓄音器(ハードウェア)の販売を始めた。

さらに,
1934年(昭和9年)2月、株式会社に改組し、帝國蓄音器株式會社と改めた。本社を奈良県奈良市に移した。1枚1円の緑盤(15000番台)を発売。

1934年(昭和9年)、日本コロムビアから作曲家の古賀政男を抜擢して重役に任用し、同社から録音技師と社員も呼び寄せた。東京進出に際して文芸部を銀座に、録音スタジオを杉並堀之内に置く。文芸部は、後に録音スタジオの地へ移転。楠木繁夫、松島詩子を専属として主力歌手とし、年末にはディック・ミネも専属とした。

1936年(昭和11年) 藤山一郎、美ち奴が入社。本社を奈良市肘塚町へ移転し、工場も設備拡大を行う。

蚊帳とレコードの関係が少しわかってきました。
上の①で「今や吾国各方面の一流芸術家を殆ど網羅し…」とありましたが,昭和12年の段階では既に有名な歌手をずいぶん専属としていたのですね。

ところで,その専属歌手の美ち奴さんですが,どんな方なのかとネットで検索してみました。
著作権の問題など詳しくわかりませんので,お顔を拝見できるアドレスをご紹介しておきます。

http://blog.goo.ne.jp/hakodatenoshito0303/e/a68fbe5a076d001fc28893d293e18f9a

http://www.matsuyomi.co.jp/showashi/showashi_BN_024.html

どちらも同じ写真ですが,上の①の表紙の水着姿の左の女性に似ているような気がしませんか?
私は,前年にテイチクに入社されたばかりの美ち奴さんを姉妹会社の蚊帳の広告に使ったのではないかな,という気がしてなりません

さて,その蚊帳の価格表です。部屋の大きさが十畳用のものを見てみますと,
・綿蚊帳「日之出印」値段本位 2円34銭
・本麻飛切上等生地「初風印」上部純白下ハ水色染裾ボカシ高級優美御客用 13円10銭
ということで値段本位の一番安いのと一番高級品では5.6倍も違います。蚊から身を守るという機能は変わらないのですけどね。

さて,②の裏側には,工場全景,発送作業風景,工場での製造風景(ミシンで蚊帳を縫っている風景)などの写真とともに会社概要が説明されています。


なお,「弊社商報値段より安価の蚊帳を売る他店の商報がありましたら其商報並に商店名生地見本を御送付下さい 他店の値段より二割値引の上御用命に応じます。」ということも書かれています。
最近の大型家電販売店のチラシではよく見かけますが,昭和の初めからこういうサービスがあったのですね。

なお,このキャンペーンには景品があります。

・美麗なる手帳及吊手を景品として添付し尚左記の通り抽選を以って景品を差上ます。
・御勧誘の方に対する景品:30円以上→安全剃刀1個,150円以上→テイチクレコード10枚,300円以上→電気蓄音器1個
・御購入者に対する規定:蚊帳一張り御買上毎に抽選券1枚。景品は1等大型電気蓄電器800台,外れても美麗なる手帳と蚊帳吊手

テイチクの看板商品である電気蓄音器を惜しげもなく800台(市価50円),すべての景品の市価を合計すると,増資金額に匹敵するほどの大盤振る舞いです。

③その他のカタログ
記載されている商品としては,まずは「蓄音器」。これも「大増資記念」で,やっぱり景品がついています。「レコードの針一千本」「専属芸術家サイン入り手拭一筋」「テイチクレコード六枚」…。


その他,南口商会という商社としての立場で販売しているものだと思いますが,「新装を誇る夏の背広服 スマートで而も気品ある1937年型」,「夏は白靴!! 近代的万人向紳士用」,この他,蒲団,蒲団袋,カバン,碁盤と碁石,袴,腹巻,シャツ・ステテコ,紳士向化粧ケースセット(石鹸入れ,歯磨粉,歯ブラシ,鏡,櫛,ポマード,クリーム附),ナショナル電気アイロン,片手バリカン(フケブラシ,耳掃除具付),精工舎腕時計


テイチクレコード関係の方,
こんな資料が出て参りました。
社の資料として御必要でしたらご連絡ください。お譲りします。
私が持っているよりは,きちんと保存していただける方に管理していただいた方がよろしいと思いますので…。

7/20/2013

「台所改善の栞」昭和5年

今回は,アンティーク絵葉書をちょっとお休みして,昭和初期の資料を紹介します。

1930年(昭和5年)11月,埼玉県社会課が発行した「臺所改善の栞」です(全26ページ)。


私の母の実家は農家で,私が幼いころ(昭和30年代後半~昭和40年代初め)はまだ土間式の台所でした。
その記憶を辿ってみると,
・薄暗かった感じがするけど,朝は窓から日が入ってきて明るかったような気がする。(逆光の向うに祖母が食事の準備をしていたようなシーンが浮かんできます。)

・天井がすごく高くて,黒くて太い梁が走っていた。

・冬はすごく寒かった。板の間が冷え切っていて,靴下を履かないわけにはいかなかった。

・土間に面した板の間の丸い卓袱台でみんなでご飯を食べた。

・水を飲みに行くのに,下駄を履いていかなければならなかった。

・竃からはいつも鍋から湯気が出ていたような気もする…

この栞が発行された頃は,おそらく日本の多くの家が土間式だったのではないかと思います。

一日の多くの時間をそこで費やす主婦のため,台所を効率的・衛生的な台所に改造することは,結果的には経済性にも効果があるだけでなく,さらに主婦の健康にもよい,と書かれています。

本冊子冒頭の「はしがき」を紹介します。
はしがき

一、近時臺所改善の聲が高まり經濟、衞生、能率、等の各方面に亘り大いに研究せされて來たが概して一般家庭の臺所は今尚不完全のものが頗る多い

二、本冊子は一般の家庭を對照としたものであるが殊に農村に於ける臺所改善の急務である事を知らしめ且之が指針を明にし改善に志す人々の參考に供せんとするものである

三、本冊子の改善案は固より一の指針であるから之を參考として自家に適切な具體的工夫を廻らして貰いたい

四、臺所改善には幾分の經費を要するが改善の結果は間もなく之を取り返し得るのみならず、更に經濟、衞生、能率等の上に予想外の効果を擧げ家庭を明くするものであることは既に之を實行した各家庭に於て證明せらるゝ處である

昭和五年十一月
埼玉縣社會課

そして,本文の内容は…
一、本縣に於ける臺所の缺陥
二、臺所改善實行上の要點
 1.位置
 2.採光、通風
 3.天井
 4.廣さ
 5.給水、排水
 6.流し
 7.調理臺
 8.戸棚
 9.食卓
 10.竈
三、臺所改善組合設置の必要
 大里郡榛澤村臺所改善會規約
四、十段式改善法
五、臺所の構造(參考)
六、臺所設備に要する經費概算

五章の「台所の構造」では,具体的な改善例が示されています。
私の母の実家の台所は,こんな感じでした。


この図をよく見ると,水道はありません。そのかわり「水槽」があります。つまり,井戸から水を汲んでここに溜めておくのですね。

また,土間の片隅に「燃料置場」がありますので,おそらく煮物,焼き物には薪や石炭を使っていたのでしょう。

こういう冊子を見ると,祖母や母の時代と比べて私たちの時代はなんて便利で快適なのだろうとつくづくありがたく思います。

当時との一番の違いは,何なんでしょうか?
上下水道と安定したエネルギー(電気,ガス)を誰でも安く容易に使えることになったということでしょう。

今の生活からこれらがなくなってしまったり,足りなくなってしまったら,この冊子の時代に戻ってしまうということなんでしょうね。

7/16/2013

アンティーク絵葉書 まだまだ続く・・・(その2)

前回の続きで箱根から東側です。
まずは,いきなりその箱根から…

相州湯本 正眼寺 曽我兄弟木像
曽我兄弟と言えば,以前アンティーク絵葉書の「神奈川県大磯」編で一度ご紹介しました。
今回は神奈川県箱根の正眼寺に安置されている曽我兄弟の木像です。
鎌倉時代の傑作とされています。


国立公園猿ヶ京 新装成れる猿ヶ京温泉
これは,通信面の上部に書かれている「郵便はがき」が左から書かれていることから昭和20年以降のハガキです。(写真面も左から書かれています。)
「国立公園 猿ヶ京」と書かれていますが,この地域は「上信越高原国立公園」ですので,昭和24年(1949年)に指定された公園となります。


日光三代家光公ニ殉死セシ諸侯之墓
(日光山三百年祭参拝紀念大正四年)
最後は栃木県の日光です。
三代将軍徳川家光公の死に殉じた5名の忠臣の墓を撮影したものです。
写真には「日光山三百年祭参拝紀念 大正四年」のスタンプが押されています。
同じ絵葉書が,日光立図書館のホームページ「日光の古写真・絵図>日光絵葉書>殉死の墓・相生滝>日光三代家光公ニ殉死セシ諸侯之墓」に掲載されていました。


さて,アンティーク絵葉書もずいぶん回を重ねてまいりましたが,まだまだ紹介していないのがたくさんあります。
茨城特集,埼玉特集,台湾,アメリカ,その他ブロマイド?
という感じです。また追ってご紹介します。

アンティーク絵葉書 まだまだ続く・・・(その1)

今回のアンティーク絵葉書は,その他もろもろ編(その1)です。
これまで,夕張,静岡,箱根,軍事演習とかテーマごとにご紹介してきましたが,特にまとまった枚数が揃っているわけではなく,場所も時代もバラバラな絵葉書を脈絡なくご紹介します。

(岡山名勝)後樂園中之島
通信面のデザインから明治後期から大正中期の頃の絵葉書と思われます。
後楽園には行ったことがありませんが,この面影は今も残っているようですね。
中央手前の道に鶴が一羽います。


一ノ谷敦盛塚ト蕎麥屋(須磨名所)
これも時代としては,明治後期から大正中期と思われます。
源平合戦で命を亡くした平敦盛の供養の塔の「そば」にあるお蕎麦屋さんです。
のれんや看板を見ると「一ノ谷名物敦盛そば」と書いてあるのでしょうか?
このお蕎麦屋さんも当時とはすっかりと面影を変えているようですが,同じ場所で営業されているそうです。
ところで,ネットで敦盛塚を調べると「高さ約3.5メートルの五輪の石塔」と書かれています。
この写真の奥の石塔を見ると,とても3.5メートルもあるようには見えませんし,また,石も五段(五輪)ではなく三段しか積まれていないようにしか見えません。
最近の写真には,この写真に写っている石塔の上にもう一つ丸い石が,そして,一番下には四角い大きな石が写っています。
上の丸い石は,影でよく見えないだけなのかもしれませんが,下の大きな四角の石はどう見てもそこに存在しているようには思えません。
一部地面に埋め込まれているのか,何らかの理由で別置きにされているのか?


神戸居留地の景
神戸の外国人居留地は,安政五カ国条約に基づき慶応3年から明治32年までの間、設けられたそうです。
この絵葉書の発行された時期は,おそらく明治後期から大正中期と思われますが,ここに写っている人はみんな洋装ですね。
これまで,同じ時代の絵葉書ではほとんど洋服の人を見かけないので,本当に別世界だったのでしょう。
道路の交差点には白い線が引かれていますが,舗装されているようには見えません。
荷車が中心ですね。


伏見稲荷神社樓門
京都の伏見稲荷大社の楼門です。
これも明治後期から大正中期の絵葉書と思われます。
伏見稲荷大社のHPによれば,この楼門は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされていて,昭和48年(1973年)に解体修理が行われたそうです。
よく見ると多少デザインが変わっているのがわかりますが,その立派な構えは今も昔もなんら変わるところはありません。


とりあえず,本日はここまで。主に西日本を取り上げました。
次回は,箱根から東を中心に取り上げます。

7/15/2013

今日のアンティーク絵葉書は絵画です

今日は建物や風景の絵葉書ではありません。
第十一回文部省美術展覽會で出品された作品です。

文部省美術展覽會は,第1回目が明治40年に開催されたので,第11回というと大正6年に開催されたことになります。

この「文展」は翌年大正7年第12回文展まで続き,その後変遷を経て現在の「日本美術展覧会(日展)」に続いているとのことです。

以下の4枚は,いずれも後世に名を残す方ばかりです。
1枚目の結城素明氏は第10回文展でも特選を受賞し,2年連続の受賞となりました。

(特選)八千ぐさ(其一) (東京)結城素明氏筆



白馬岳八題 (東京)寺崎廣業氏筆



薩南六題(其二) (東京)山内多門氏筆



献燈(其一) (京都)不動立山氏筆




これらのカラーの写真をネットで探しましたが,残念ながら見つかりませんでした。

どちらかの美術館で展示されているようでしたら,一度実物を鑑賞したいものです。

7/14/2013

アンティーク絵葉書 千葉犬吠埼

今日は,名勝地の絵葉書で,千葉県から犬吠埼の海水浴場と旅館です。

「海水浴旅舘暁雞舘之全景」


銚子犬吠岬海水浴旅舘暁雞舘廣間ノ一部


絵葉書の裏側のデザインから明治43年~大正7年の頃の絵葉書だと思われます。

犬吠岬の暁雞舘という旅館,外観も内装もしっかりとした旅館です。
さっそく,インターネットで検索してみますと,ありました!


海辺のくつろぎの宿
ぎょうけい館

創業明治七年
寄せてはかえす白い波・・・
はるか遠くより聴こえくる潮騒の響き。
美しく,壮大なる景観に時を忘れしみじみと旅情に浸るひととき。
悠久の昔から数多くの文人・貴顕に愛され,
今 なお「智恵子抄」の思いが息づく老舗宿,
趣深く,由緒正しき名館・・・ぎょうけい館。



明治7年創業ですからとても歴史のある旅館ですね。
アンティーク絵葉書には,時々旅館や商店を題材としたものがありますが,現在まで継続して営業されているものは多くありません。

いつか機会があれば,泊りに行ってみたいと思います。
(もう50歳を過ぎて,海水浴という年でもありませんので,日の出や新鮮なお刺身を楽しみに行くというのがお勧めでしょうかね?)

ところで,1枚目の写真ですが,当時の水着の女性でも写っているのではないか,と拡大鏡で調べてみました。
もう海の日ですものね。

男も女も日傘を指して,着物を着たまま海を眺めている,という感じですね。
20人くらいでしょうか? 子供はいないみたいです。
すごーくのんびりしています。泳いでいる人は見当たりません。
これだけ広い砂浜を,独占しているようで羨ましいです。



7/13/2013

「大東亜の建設」お譲りしました

先日,戦後GHQ(連合国軍総司令官総司令部)により「焚書」指定を受けたという「大東亜の建設」という書籍についてご紹介しました。

偶然,このような本に非常にご興味を持たれ,研究されておられる方とお話しすることができまして,7月11日にお譲りいたしました。

私が持っていても,豚に真珠,猫に小判というわけで,その価値をご理解いただける方に引き取っていただき,うれしい限りです。

私のブログをご覧になって,ご興味のある本がございましたら,ご遠慮なくお問い合わせください。

7/12/2013

アンティーク絵葉書 千葉県成田山

さて,今回のアンティーク絵葉書は,千葉県成田山です。

成田山本堂ト鐘樓 (下總成田梅屋旅舘發行)


成田山こわれ不動及水行場 (下總成田梅屋旅舘發行)


成田山三重塔及千葉縣物産陳列場 (下總成田梅屋旅舘發行)


通信面のデザインから,明治末期から大正半ばに発行されたものと思われます。

いずれも下總成田梅屋旅舘発行となっています。

いつものようにインターネットで検索すると…
ありました,ありました,梅田旅館が見つかりました。
成田山の参道ですね。

Google Earthで旅館の外観を拝見すると,期待通り,長い歴史を感じさせる木造3階建の立派な構えです。

絵葉書には「非売品」と書いてありますので,宿泊者にお土産として配っていたのでしょうか?

成田山のような神社仏閣はそれぞれ昔も今もその面影を残しながら引き継がれていることと思いますが,旅館や商店などは必ずしもそうとは限りません。
昔の面影を残すことなく最新のデザインに変わってしまったり,場合によっては全く別の物(建物)に変わってしまうことさえあります。

アンティーク絵葉書を整理していて,写真の題材そのものよりも,今回の絵葉書のように,発行した旅館や写真館の方に自分の興味が移りつつあるような気がします。