12/29/2017

最相葉月さん「星新一 1001話をつくった人」

今日は本の紹介です。
最相葉月さんの「星新一 1001話をつくった人」というノンフィクションです。
ショートショートの神様星新一の伝記ですね。

星新一の作品と出会ったのは中学生の頃でした。
私は小学生時代本を読むのが嫌いで、夏休みの宿題の読書感想文は本当に嫌でした。
しかし中学に入ると、遊んでばかりでとても本なんかには見向きもしない友人が
 「星新一の小説は面白いよ。読んでみな。」
と言って文庫本を貸してくれました。
たぶん、「ボッコちゃん」だったと思いますが、まず、こいつも本を読んでいるんだということに驚き、そして貸してもらった文庫本をあっという間に読み切ってしまった自分にひどく驚いたことを覚えています。
といって、私の本嫌いが治ったわけではなく、高校生になっても読むのはマンガと星新一だけでしたので、星新一だけが私にとっての例外だったのです(このあたりは、私のこのブログで「星新一」で検索していただければ、似たような話が書かれています。)

私の星新一好きは脇に置いておいて、この本を書いた最相葉月さんという方に非常に興味を覚えました。
これまで伝記というものがどのように書かれるのかなど考えたこともなかったのですが、この本を読んで、これは相当の取材と調査、そして、得られた情報の整理・分析、検証を経て書かれたものなんだ、ということがわかりました。
本人がお亡くなりになってからの取材ですので、本人の幼少の頃の出来事などはご遺族でもわからないことと思います。
そういうこともいろいろな手段で調べ上げ、この作品となったのでしょう。

こうなると、単にノンフィクション作品とか伝記というよりも、ほとんど研究論文にちかいように思います。
本当にすごいなと思いました。





古絵葉書 関東地方の名所(その5:奥秩父)

古絵葉書関東地方の名所その5は埼玉県奥秩父です。
カラー写真ですが、裏の通信面を見ると「郵便はがき」と濁点付きで右から書かれているので昭和8年~20年の頃の発行と思われます。

通信面の仕切り線のところに「三峰神社」、右下に「撮影・清水武甲」と書かれています。(これらは左から書かれています。)
撮影者の清水武甲さんをネットで検索すると、「コトバンク」で見つかりました。
大正時代に秩父に生まれ、昭和から平成にかけて秩父を撮り続けた写真家とのことです。
たくさん写真集も出されているほどの方のようです。

奥秩父の旅 初夏の栃本谷
 現在、ネットにはたくさんの方が撮影した写真がアップされていますが、ここで紹介した4枚の絵葉書と同じ場所から撮影された写真もたくさんあります。

それらの写真と比べると、奥秩父の姿は何十年も時が経過しても大きな変化は無いように思えます。


三峰神社奥宮の展望
この美しい自然がこの先も長く続くのでしょうか。

古い絵葉書を見ていると今の姿と比べてみたくなります。
たいていの場合、跡形もないくらい変わってしまっている場合が多いのですが、ぜひ清水武甲さんが見た風景を私も見てみたいと思います。

奥秩父の旅 雲取山の展望

奥秩父の旅 秋の金蔵落

12/14/2017

古絵葉書 関東地方の名所(その4:川口 善光寺・荒川)

関東地方の名所の4回目は埼玉県川口です。

私の祖父が川口市役所に勤めていたので川口に関する資料は結構あります。
私のブログで「川口」で検索してもらうといろいろと出てきます。
今回の川口善光寺や荒川放水路の絵葉書も過去に紹介しました。
川口市 市制施行記念絵はかき

今回の絵葉書は、先に紹介した昭和8年川口市制施行よりも古い写真のようで、通信面の情報から明治43年~大正7年頃のものと思われます。

武州川口町善光寺公園及大玄関
雪が降った後の写真ですね。
中央の大きな石碑は今も残っているのでしょうか。
昭和43年の災禍、最近の荒川堤防工事との干渉のため、昔の面影は全く無くなってしまったと聞きましたが、どこかに移設されたのだとよいのですが。
善光寺境内ヨリ望見シタル荒川船橋ト鉄橋

下は善光寺からの荒川の景色です。手前の小屋が船着き場でしょうか。
右上の鉄橋が東北本線の荒川橋梁だとすれば、明治18年初代荒川橋梁竣功、明治28年複線化工事竣功ですので、その当時のものですね。
このあと、関東大震災で被害を受け修復工事が行われ、さらにその後2代荒川橋梁を新設することになり、初代橋梁は撤去されたそうです。

12/13/2017

古絵葉書 関東地方の名所(その3:下館 勤行川)

茨城県下館(現在は筑西市)の勤行川河畔は蛍の見どころだったようです。
筑西市のHPなどをいろいろと検索しても、「遡上する鮭の姿が見られる」というのはいくつか見つかりますが、なかなか蛍の名所というキーワードは引っ掛かりませんでした。
(下館名所其六)勤行河畔蛍の名所
正面に見えるのは筑波山ですね。この地形から場所が特定できますかね?
地元にお住まいの方ならわかるかもしれませんね。橋の上から撮影されたのでしょう。
写真には「発売元古島初太郎」と書かれています。

この絵葉書は大正7年~昭和8年頃の発行と思われます。
モノクロで不鮮明なところがありますが、右上にやや不自然な三日月らしきものが見えます。おそらくこれは後から描き込まれたのでしょう。
また、写真下部に川面に白い点のようなものが見えますが、これは蛍なんでしょうか?
虫眼鏡でよく見ると小さい白い点も結構たくさん見えます。
写真が不鮮明なのが原因なのか、描き込まれたのか、それとも本物の蛍の光なのかよくわかりません。(後から描き込まれたと思われる絵葉書は「大磯」でもありました。)

下館の絵葉書をもう一枚。これは名所というわけではありませんが、おそらく上の勤行川の絵葉書と同じころのものと思われます。(「岡本写真館撮影」と書いてあります。)
(真壁郡物産共進会)下館町旅館新小島楼 電話百三十三番
2階の高さくらいまでありそうな門柱の上部にはモダンなデザインのアーチが取り付けられていますね。そして、門、塀に沿って見越しの松。
玄関上の「新小島楼」と書かれた看板も立派なものです。
玄関前には植木鉢の菊が置かれていて、お客様のお帰りを迎えているようです。
2階で新聞を読んでいるのは宿泊のお客様でしょうか?
多少形は変わっているかもしれませんが、今も営業が続いているのでしょうか?
これだけ立派な旅館ですから、地元ではご存知の方がいらっしゃるのではないかと思います。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、情報をいただけると嬉しいです。

12/12/2017

古絵葉書 関東地方の名所(その2:埼玉 吉見百穴)

私の住む埼玉県の名所の一つ、吉見の百穴遺跡の絵葉書です。
武蔵国比企郡吉見村百穴ノ図

吉見百穴をご存知でしょうか?
埼玉県比企郡吉見町にある国指定史跡です。
私は小学生の時に社会科見学で見に行きました。

以下、吉見町役場のHPからの引用です。(吉見町 吉見百穴
 吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じである。百穴が分布する一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる比較的掘削に適した岩盤が広がっており、当時の人々は掘削するのに適した場所を探して横穴墓を造ったと考えられる。吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。現在確認できる横穴の数は219基である。
このはがきの発行時期はというと、いつものように「古い絵ハガキの年代推定法」を参照すると、
 ・切手貼付部に「内国には一銭五厘切手 外国には四銭切手」と書かれている。
 ・右から「郵便はかき」(濁点なし)と書かれている。
 ・宛名部と通信部の区切り線がない。
ことから明治33年~明治43年頃と思われます。

上で引用した吉見町のHPには「吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。」とありますので、当時の貴重な写真かもしれませんね。

12/11/2017

古絵葉書 関東地方の名所(その1:前橋 臨江閣新館)

関東地方の絵はがきが何枚かあったので、紹介したいと思います。

まずは、群馬県前橋の臨江閣新館です。


ネットで検索するとありました。
前橋市のHPの歴史・文化財関連施設のページに「臨江閣」について詳しく解説されています。
臨江閣とは
 臨江閣は近代和風の木造建築で、全体は本館・別館・茶室から成り、本館と茶室は県指定、別館は市指定の重要文化財となっています。
 本館は明治17年9月、当時の群馬県令・楫取素彦(かとり もとひこ)や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として建てられました。また茶室はわびに徹した草庵茶室で、京都の宮大工今井源兵衛によって明治17年11月に完成しました。
 別館は明治43年一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた書院風建築です。
絵葉書には(前橋名勝)臨江閣新館 と書かれていますが、おそらく上の解説文の「別館」のことでしょう。本館→別館の順で作られたのでしょうから。

葉書の通信面は、濁点なし・右から「郵便はかき」で、仕切り線が三分の一の位置にありますので、明治43年~大正7年ころに発行されたものと思われます(※「古い絵ハガキの年代推定法」参照)。

別館の竣工が明治43年ですので、ちょうど完成したばかりの写真かもしれませんね。

ちなみに発行は「春木堂」とあります。
検索すると、明治35年開業の老舗のようです。
古絵葉書をいろいろと調べていると、それを発行した会社が今もしっかりと活動されているケースが多いことがわかります。
100年以上も地域で企業活動を継続、拡大されているのは本当に素晴らしいことだと思います。

12/10/2017

絵葉書 大正後期~昭和初期の台湾

台湾は日清戦争後清国から割譲され、日本の統治下にありましたが、その当時の絵葉書5枚です。
通信面が全体の二分の一で、右から「郵便はかき」(「か」が濁点なし)の絵葉書なので大正7年~昭和8年頃に印刷されたものと思われます。
(※「古い絵ハガキの年代推定法」参照)

さらに、そのうちの1枚に大正8年に完成した台湾総督府庁舎の写真がありますので、それ以降の絵葉書だと思います。

●臺灣總督府廰舎(臺北)General Office Formosa

●臺南市臺南公園 Taiwan Park Formosa

その他、アミス族、タイヤル族の女性を写した絵葉書が3枚ありました。
そのうちの1枚は書き損じで、宛先の住所・名前と差出人の名前が書かれているのですが、いずれも私のご先祖様ではありません。
しかし、驚いたのは宛先の住所が、私が30代後半に転勤で家族と暮らしていた茨城県内の社宅すぐ近くの神社だったのです。
不思議ですね。
我が家の物置に眠っていた書き損じの絵葉書に書かれていた住所のすぐ近くに、その後60~70年を経て私と家族が住み、その神社に参拝していたのですから。
機会があれば絵はがきを持って尋ねてみたいと思います。

ところで、最近知ったのですが、こういう昔のモノクロの写真をAI技術で自動色付けをしてくれるサイトがあります。(ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け

上の写真を実際に試してみたら、なんとも素敵な写真になりました。



庁舎は最近改築された東京駅のようだと思いましたが、設計者の長野宇平治は、東京駅の設計者の辰野金吾の弟子で、しかも、この庁舎設計では辰野のアドバイスも受けたと書かれています。(Wikipedia:台湾総督府
なるほど、ということですね。

12/09/2017

「知の再発見」双書シリーズ

創元社の「知の再発見」双書シリーズです。
芸術、科学、歴史など私の興味を引くテーマで、カラー写真、図が豊富なので、何冊か購入しました。

既に、このシリーズでは
●ジャン・マリニー 吸血鬼伝説
●フランソワーズ・バリバール アインシュタインの世界
を紹介しました。

今回はこの2冊です。


●尾本圭子 日本の開国
19世紀末に来日したフランス人エミール・ギメから見た日本を紹介した本です。
ギメに同行したフェリックス・レガメの絵は明治の日本の人々、生活を知るうえでよい記録だと思います。

●ジョルジュ・ジャン 記号の歴史
古代から現代に至るまでの様々な「記号」について解説されています。


「知の再発見」双書シリーズでは、このほかに「不思議の国のアリスの誕生」があります。
不思議の国のアリスは、英語版を日本語版と比較しながら読みました。
結構複雑な言葉遊びがあちこちに見られ、すっかりファンになりました。
アリス関係の書籍はいつのまにかずいぶんたまりました。

そのうちにアリスの本もご紹介したいと思います。

12/07/2017

陸上自衛隊の装備

北朝鮮問題など、緊張した状況が続いています。
いざという時に頼りになるのが自衛隊です。
陸上自衛隊の戦力を解説してくれるのがこの本です、

●毒島刀也 陸上自衛隊「装備」のすべて(ソフトバンク クリエイティブ)

陸上自衛隊の科ごとに、それぞれの役割とその役割を担う装備について詳しく解説されています。
2012年の発行の本で、戦車では10式戦車まで掲載されています。
以前、富士総合火力演習を見に行く機会を得ることができ、その予習のために購入しました。
頼りにしてます、自衛隊の皆さん!

12/05/2017

古絵葉書「川越 喜多院 大師堂・五百羅漢」

川越の喜多院五百羅漢と大師堂の絵葉書です。
記念スタンプが押されていて、「武州」「明治四十四年四月二十二日」という文字は読めるのですが、スタンプの上部と中央部の文字がよくわかりません。


五百羅漢は、ネットで今の姿を見ても全く変わりませんね。
下が舗装され地面がかさ上げされたせいでしょうか、今の方が正面の階段が一段少なくなったようです。 

ネット情報によれば、大師堂は昭和46年に解体修理を行ったようですので、それ以前の建物のはずです。
ちょっと修理後の姿と違っているような気がしますが、実際に見たこともないのでよくわかりません。斜めの方向から建物正面にアクセスする配置からすると、同じ建物なんでしょう。

五百羅漢は、いろいろな表情の羅漢さんで有名です。
一度誰かのそっくりさんがいないか、見に行きたいと思います。

昭和二年特別大演習観艦式記念

昭和二年十月三十日に横浜沖で特別大演習観艦式が行われたそうです。
その時の記念印がありました。

1銭5厘の官製はがきに記念印が押されています。

Wikipediaの「観艦式」には、次のように書かれていました。
大演習観艦式
1927年(昭和2年)10月30日、横浜沖。
参加:計158隻(66万4,292トン)、飛行機82機、飛行船3隻

しかし、158隻というのは物凄い規模です。
今では自衛隊記念中央観閲行事を陸海空3自衛隊が持ち回りで行うことになり、海上自衛隊は3年に一度観艦式を行っていますが、せいぜい50~60隻程度だったと思います。
一般の人たちは、海岸から望遠鏡や双眼鏡で見ていたのでしょうか?

以前このブログで「大正元年陸軍特別大演習記念」の絵葉書を紹介しましたが、よくこのような資料が残っているものです。


12/04/2017

絵葉書「所澤町 山田屋呉服店奥庭」

埼玉県の絵葉書です。

所沢の山田呉服店奥庭と書かれています。
山田呉服店といえば、以前このブログで明治末から大正初めころの「アンティーク絵葉書 「飛行機」」を紹介しましたが、絵葉書の下に山田屋呉服店と書かれていました。


またここで「山田呉服店」の名前にお目にかかるとは思いませんでした。
花がたくさん咲いている綺麗な庭園です。
呉服を買いに来たお客様をお通しする部屋に面しているのでしょうか?

はがきの裏側を見ると、右から「郵便はかき」と書かれていて、通信文が全体の三分の一ですので、明治43年~大正7年ころのものと思われます。

12/03/2017

絵葉書「大本山 永平寺」(つづき)

昨晩、永平寺の絵葉書を紹介しました。

朝起きて、新聞の日曜版を見るとちょうど永平寺が特集されていました。

絵葉書にほとんど同じ構図の写真がありましたので、並べて掲載します。

読売新聞日曜版(2017年12月3日)1面

絵葉書「大本山永平寺」(昭和30年頃:表現社)

絵葉書「大本山 永平寺」

カラーの絵葉書です。
福井県にある曹洞宗大本山永平寺の絵葉書です。


通信面上部の「郵便はがき」が左から書かれているので、戦後発行のものですが、昭和何年ごろかははっきりしません。

以前このブログで、昭和30年頃の福井県の地図や福井県の観光名所の東尋坊の絵葉書を紹介しました。

おそらくこの永平寺の絵葉書も同じころのものでしょう。

絵葉書のケースの裏を見ると、発行社の記載があります。


一部文字が隠れていますが光に透かして見ると、
 CREATED BY HYOGENSHA CO., LTD.   KYOTO, JAPAN
と読めます。

「京都 HYOGENSHA」でGoogle検索すると…。

ありました、ありました。
表現社 ホームページ

会社案内のところを見ると、まさに絵葉書と同じ「HYOGENSHA CO.,LTD.」の記載がありました。
昭和8年創業のはがきや便箋、折り紙などを制作、販売されている歴史ある会社のようですね。
京都に行く機会があれば、一度お邪魔してみたいと思います。

12/02/2017

グリム童話

●鈴木晶 グリム童話(講談社)

グリム兄弟といえば、赤ずきんちゃん、白雪姫などいかにもメルヘンといった童話のイメージですが、それに隠されたメッセージ、教訓といったものを解説した本です。

グリム童話は、兄弟が活躍した19世紀の世相が反映された物語のようですが、歴史的な背景と結びつけるといろいろな解釈ができ、奥が深いな、と思いました。
しかし、現代の私たちは、逆に当時の世相などが表に出ないように意図的に手が加えられたものを読まされているということなのかもしれません。


私は、複雑な背景なしの「めでたし、めでたし」のストーリーの方がいいですね。

12/01/2017

悪魔の本

今日は悪魔の本です。
西洋絵画の題材になっている悪魔を見て興味を持ち、何冊か本を読み始めたのですが、実は、小さいころから、水木しげるさんの「悪魔くん」をはじめ、星新一さんのショートショートなど身近に結構「悪魔」がいたものです。
魔女とか魔法使い、怪物まで範囲を広げると、「奥さまは魔女」「怪物くん」「幽霊城のドボチョン一家」「エコエコアザラク」などなど…。
日本の妖怪に対して西洋の悪魔、って感じですかね?
悪魔は聖書とも関係しているようですが、日本の妖怪は特に宗教とは深い関係はないのでしょうか?

●馬杉宗夫 黒い聖母と悪魔の謎/キリスト教異形の図像学(講談社)
●ジャン・マリニー 吸血鬼伝説(創元社)
●池内紀 悪魔の話(講談社)

「悪魔の話」の池内紀さんはドイツ文学者でドイツにまつわる著作がたくさんあります。私は以前仕事で2~3ヶ月西ドイツにおりまして、ドイツの生活、文化には興味があり、他にも池内さんの本を何冊か読みました。
そのうち、池内さんが翻訳されたゲーテのファウストは現代風な文章でとても読みやすく、海外古典文学に抵抗がある方にお勧めします。