9/01/2013

原発関係の本

 今日は,原発関係の本です。
 古いのもあれば,福島事故以降に発行されたものもあります。本の保管場所が厳しいのでお譲りすることにします。


原発のいま!,西尾漠,1983,三一書房
 巻末に著者プロフィールが掲載されていますが,「反原発運動全国連絡会の事務局員」とありますので,そういう立場で書かれた本です。
 学生の頃読んだ記憶がありますが,どんな中身であったかはすっかり忘れてしまいました。


朽ちていった命 -被曝治療83日間の記録-,NHK「東海村臨界事故」取材班,2006,新潮社
 これは1999年9月に茨城県東海村で発生したJCO事故(臨界事故)で被曝された方の治療の記録です。
 被曝直後は意識もしっかりしていたものの,20Svもの中性子被曝で染色体が破壊されてしまい,その後は細胞が再生されることなく厳しい状況になっていきます。
 治療されているご本人だけでなく,ご家族の辛さは想像するに難くないのですが,治療される医療スタッフの苦悩もよく伝わっています。放射線事故の恐ろしさを理解するのに非常に役立ちました。


原発推進者の無念,北村俊郎,2011,平凡社
 原子力関係の仕事に携わってきた著者が,老後を福島で過ごしていたところ,震災と福島原発事故に巻き込まれた体験を基に,現状をいかに改善すべきか,これまでの原子力行政や電力会社の原発推進の問題点は何かを記したもの。


ブラックアウト(上・下),マルク・エルスベルグ,2012,角川書店
 これは小説です。ヨーロッパでは送電網が国境を越えてつながっていますが,とある原因で送電線に異常が生じ,ヨーロッパ中がブラックアウト(停電)となってしまいます。原発への影響だけでなく,日常生活への影響までリアルに描かれています。
 日本では震災直後計画停電がありましたが,その後は幸いにも何とか停電なしで切り抜けてきていますが,でもかなりギリギリのところまで来ているようです。十分余力をもった安定した電力の供給を望みます。


メルトダウン,大鹿靖明,2012,講談社
 これは,福島第一原子力発電所事故に関する取材記事を基に,ノンフィクションのドキュメンタリーに仕上げたものです。
 さすがに取材を基にしているだけあって,多くの関係者の発言が結構生々しく臨場感が伝わってきました。


 しばらくしたら,いつものように,これらの本をまとめて障害者の団体にお譲りします。
 それまでに,もし,これらの本にご興味がある方がいらっしゃいましたら,お譲りしますのでご連絡ください。



その他,原発関係ではありませんが,以下の本もお譲りします。
 ・「そしてだれも笑わなくなった」,アート・バックウォルド,1980,文藝春秋
 ・「対訳 資本主義の世界的危機」,ポール・M/スウィージー,1980,TBSブリタニカ
 ・「クイズダービー」,TBSテレビ,1978,TBSブリタニカ

8/11/2013

1990年代に読んでいた本

今日は,1990年代,私が30代の頃に読んだ本を紹介します。

就職して,結婚して,子供が誕生して…と,今思えば,人生で一番変化がある時期ではないでしょうか?

仕事の方も,だんだんと中堅どころになってきて,面白くなってきたころだと思います。

さっそく,どんな本を読んでいたのか,ご紹介します。

まずは,仕事をいかにうまくこなしていくか,といったノウハウ本です。

「問題解決の目を育てる」岩崎隆治著,日本能率協会
「部下指導の要点」山田博夫著,産業能率大学出版部

今になって思えば,役に立ったのかどうかよくわかりません。

次は,業務に直接関連するわけではありませんが,仕事を進める上で少しは役に立つかな,という程度の気持ちで買った本です。

「よくわかる建設業界」長門昇著,日本実業出版社
「九賢人が語る 明日のエネルギー」倉義巳編著,電力新報社
「『考える力』をつける本2」轡田隆史,三笠書房
「2020年からの警鐘 日本が消える」日本経済新聞社編,日本経済新聞社


「2020年からの警鐘」は今読み直すと面白いと思います。さまざまな分野の専門家が,1990年代後半に約20年先を予測したものです。

また,この頃,パソコンの性能が急激に向上し,インターネットも普及してきました。
そして,個人レベルでも検索してほしい情報が容易に手に入るようになってきました。
そういうことで,データベースに関する本にも目を通していました。

「お茶の間情報局 自宅で使えるデータベース」坂本樹徳他著,誠文堂新光社
「データベースのことがわかる本」山崎昶著


その他,やはり初めての子供が誕生したということもあり,育児の本も読んでました。

「子どもの自立心を育てるハッパ作戦」多湖輝,ごま書房
「子どもの頭をよくする心理作戦」多湖輝,ごま書房

これなどは,冒頭紹介した「問題解決の目を育てる」や「部下指導の要点」とかなり共通している気がします。

懐かしい本ばかりですが,もはや今の自分にはあまり必要のない本となってしまいましたので,処分することにします。

もし,お読みになりたい方がいらっしゃいましたら,お譲りしますのでコメントにその旨書き込んでください。(9月下旬には処分する予定です。)


その他,娯楽的要素がある本としては,次のようなものもありました。これらも一緒に処分してしまう予定です。

「通販珍ワンダーランド」“ディスカバー通販”友の会編,双葉社
「インターネットトンデモ活用マニュアル」裏インターネット研究会編,徳間書店
「インターネットトンデモ活用マニュアル2」裏インターネット研究会編,徳間書店
「大笑い 大蔵省極秘情報」テリー伊藤,飛鳥新社
「聖書の暗号」マイケル・ドリズニン,新潮社
「世界はこうしてだまされたⅡ UFO神話の破滅」高倉克祐,悠飛社

7/28/2013

大阪に行ってきました

先週は珍しく大阪に出張でした。大阪万博は小学校4年生の頃でした。

7/21/2013

株式会社南口商会商報(蚊帳号)/昭和12年

昭和12年に発行された今で言うカタログ販売通信販売の案内です。
これは,「蚊帳号」と書かれているので,蚊帳(懐かしい言葉です)の通信販売特集号のようです。

発行者は,奈良県生駒郡片桐という所にある卸問屋の株式会社南口商会というので,どこかの駅の南口(みなみぐち)にでも店を構えた会社なのかと思っていましたら,同封されている注文書に南口(ナンコ)とふりがなが振ってありました。

まずは,どんな資料がはいっているのかご紹介します。

全体の構成は,
①A4サイズくらいのカラーの厚紙を二つ折りにした表紙の間に,
②社長ご挨拶文と蚊帳のカタログ(裏面には会社概要や購入者への特典が記載),
③その他の商品のカタログ,それに注文書(ハガキ)からなっています。


①表紙

夏の海辺でビーチパラソルの下でバカンスを楽しむ水着姿の二人の女性のイラストです。
これを二つ折りにしてその間に以下のカタログや注文書が挟まっています。「蚊帳号」と書かれている通り,蚊帳を販売するのが目的の通信販売カタログですね。
この南口商会というのは,蚊帳の製造販売を業としている会社です。
裏側には「蚊帳号」発行に当たっての特別奉仕品などの紹介が書かれています。
・大増資記念特別奉仕売り出し

・常に最低価格を以って最優良品を提供し其製造販売高に於て本邦蚊帳界の首位を掌握し斯界をリードしつゝある我楠公蚊帳は…

・仝じく大楠公を商標とせる姉妹会社のテイチクレコードは今や吾国各方面の一流芸術家を殆ど網羅し…

・他社の壱円五拾銭盤をはるかに凌駕し而も価格は最低の壱円を以って臨み名実共に眞にレコード界のレコードを破りつゝある…

・この大飛躍大発展に依る増資を記念として世に定評ある弊社独特の左記特製の二品を犠牲的に五萬張を限り破格の値段を以って特別奉仕売り出しを敢行…

・代金は全部月賦とし毎月末迄に御払込被下度…
蚊帳の製造販売をしている会社がテイチクレコードと姉妹会社とは驚きです

②蚊帳のカタログ

南口商会社長である南口重太郎氏のご挨拶文です。
・皆様の御厚眷に撫育せられ吾大楠公印二大製品たる楠公蚊帳及テイチクレコードは共に駸々たる躍進を遂げ幸ひ今日の盛運に恵まれたるは…

・弊社はこの大発展に伴う増資を記念して一般暴騰を度外視し今期に限り昨年度通りにて一切値上げを不致…

・而も二重景品付き記念売出を敢行致しました…

・奈良地方御遊覧の際は御参考の為め御遠慮なく蚊帳工場及レコード工場御参観ください

株式会社南口商会
帝国蓄音器株式会社 社長 南口重太郎

南口重太郎氏をインターネットで調べると(Wikipedia「テイチクエンタテインメント」)
南口重太郎が大阪にスタンダード・レコードというレコード会社を設立。この会社はのちにテイチクの一工場となる。南口は忠臣楠木正成を崇拝しており、このとき「楠公印」のレーベルマークを商標登録、のちにテイチクでも使われる。

1931年(昭和6年)2月、吉川島次と南口重太郎が合資會社帝國蓄音器商會を設立。本社・工場を奈良県奈良市に、事務所・録音スタジオを川西市花屋敷においた。当時、吉川は現在の大和郡山市で、農業を営みながら蚊帳などの問屋をしており、副業として、この会社で蓄音器(ハードウェア)の販売を始めた。

さらに,
1934年(昭和9年)2月、株式会社に改組し、帝國蓄音器株式會社と改めた。本社を奈良県奈良市に移した。1枚1円の緑盤(15000番台)を発売。

1934年(昭和9年)、日本コロムビアから作曲家の古賀政男を抜擢して重役に任用し、同社から録音技師と社員も呼び寄せた。東京進出に際して文芸部を銀座に、録音スタジオを杉並堀之内に置く。文芸部は、後に録音スタジオの地へ移転。楠木繁夫、松島詩子を専属として主力歌手とし、年末にはディック・ミネも専属とした。

1936年(昭和11年) 藤山一郎、美ち奴が入社。本社を奈良市肘塚町へ移転し、工場も設備拡大を行う。

蚊帳とレコードの関係が少しわかってきました。
上の①で「今や吾国各方面の一流芸術家を殆ど網羅し…」とありましたが,昭和12年の段階では既に有名な歌手をずいぶん専属としていたのですね。

ところで,その専属歌手の美ち奴さんですが,どんな方なのかとネットで検索してみました。
著作権の問題など詳しくわかりませんので,お顔を拝見できるアドレスをご紹介しておきます。

http://blog.goo.ne.jp/hakodatenoshito0303/e/a68fbe5a076d001fc28893d293e18f9a

http://www.matsuyomi.co.jp/showashi/showashi_BN_024.html

どちらも同じ写真ですが,上の①の表紙の水着姿の左の女性に似ているような気がしませんか?
私は,前年にテイチクに入社されたばかりの美ち奴さんを姉妹会社の蚊帳の広告に使ったのではないかな,という気がしてなりません

さて,その蚊帳の価格表です。部屋の大きさが十畳用のものを見てみますと,
・綿蚊帳「日之出印」値段本位 2円34銭
・本麻飛切上等生地「初風印」上部純白下ハ水色染裾ボカシ高級優美御客用 13円10銭
ということで値段本位の一番安いのと一番高級品では5.6倍も違います。蚊から身を守るという機能は変わらないのですけどね。

さて,②の裏側には,工場全景,発送作業風景,工場での製造風景(ミシンで蚊帳を縫っている風景)などの写真とともに会社概要が説明されています。


なお,「弊社商報値段より安価の蚊帳を売る他店の商報がありましたら其商報並に商店名生地見本を御送付下さい 他店の値段より二割値引の上御用命に応じます。」ということも書かれています。
最近の大型家電販売店のチラシではよく見かけますが,昭和の初めからこういうサービスがあったのですね。

なお,このキャンペーンには景品があります。

・美麗なる手帳及吊手を景品として添付し尚左記の通り抽選を以って景品を差上ます。
・御勧誘の方に対する景品:30円以上→安全剃刀1個,150円以上→テイチクレコード10枚,300円以上→電気蓄音器1個
・御購入者に対する規定:蚊帳一張り御買上毎に抽選券1枚。景品は1等大型電気蓄電器800台,外れても美麗なる手帳と蚊帳吊手

テイチクの看板商品である電気蓄音器を惜しげもなく800台(市価50円),すべての景品の市価を合計すると,増資金額に匹敵するほどの大盤振る舞いです。

③その他のカタログ
記載されている商品としては,まずは「蓄音器」。これも「大増資記念」で,やっぱり景品がついています。「レコードの針一千本」「専属芸術家サイン入り手拭一筋」「テイチクレコード六枚」…。


その他,南口商会という商社としての立場で販売しているものだと思いますが,「新装を誇る夏の背広服 スマートで而も気品ある1937年型」,「夏は白靴!! 近代的万人向紳士用」,この他,蒲団,蒲団袋,カバン,碁盤と碁石,袴,腹巻,シャツ・ステテコ,紳士向化粧ケースセット(石鹸入れ,歯磨粉,歯ブラシ,鏡,櫛,ポマード,クリーム附),ナショナル電気アイロン,片手バリカン(フケブラシ,耳掃除具付),精工舎腕時計


テイチクレコード関係の方,
こんな資料が出て参りました。
社の資料として御必要でしたらご連絡ください。お譲りします。
私が持っているよりは,きちんと保存していただける方に管理していただいた方がよろしいと思いますので…。

7/20/2013

「台所改善の栞」昭和5年

今回は,アンティーク絵葉書をちょっとお休みして,昭和初期の資料を紹介します。

1930年(昭和5年)11月,埼玉県社会課が発行した「臺所改善の栞」です(全26ページ)。


私の母の実家は農家で,私が幼いころ(昭和30年代後半~昭和40年代初め)はまだ土間式の台所でした。
その記憶を辿ってみると,
・薄暗かった感じがするけど,朝は窓から日が入ってきて明るかったような気がする。(逆光の向うに祖母が食事の準備をしていたようなシーンが浮かんできます。)

・天井がすごく高くて,黒くて太い梁が走っていた。

・冬はすごく寒かった。板の間が冷え切っていて,靴下を履かないわけにはいかなかった。

・土間に面した板の間の丸い卓袱台でみんなでご飯を食べた。

・水を飲みに行くのに,下駄を履いていかなければならなかった。

・竃からはいつも鍋から湯気が出ていたような気もする…

この栞が発行された頃は,おそらく日本の多くの家が土間式だったのではないかと思います。

一日の多くの時間をそこで費やす主婦のため,台所を効率的・衛生的な台所に改造することは,結果的には経済性にも効果があるだけでなく,さらに主婦の健康にもよい,と書かれています。

本冊子冒頭の「はしがき」を紹介します。
はしがき

一、近時臺所改善の聲が高まり經濟、衞生、能率、等の各方面に亘り大いに研究せされて來たが概して一般家庭の臺所は今尚不完全のものが頗る多い

二、本冊子は一般の家庭を對照としたものであるが殊に農村に於ける臺所改善の急務である事を知らしめ且之が指針を明にし改善に志す人々の參考に供せんとするものである

三、本冊子の改善案は固より一の指針であるから之を參考として自家に適切な具體的工夫を廻らして貰いたい

四、臺所改善には幾分の經費を要するが改善の結果は間もなく之を取り返し得るのみならず、更に經濟、衞生、能率等の上に予想外の効果を擧げ家庭を明くするものであることは既に之を實行した各家庭に於て證明せらるゝ處である

昭和五年十一月
埼玉縣社會課

そして,本文の内容は…
一、本縣に於ける臺所の缺陥
二、臺所改善實行上の要點
 1.位置
 2.採光、通風
 3.天井
 4.廣さ
 5.給水、排水
 6.流し
 7.調理臺
 8.戸棚
 9.食卓
 10.竈
三、臺所改善組合設置の必要
 大里郡榛澤村臺所改善會規約
四、十段式改善法
五、臺所の構造(參考)
六、臺所設備に要する經費概算

五章の「台所の構造」では,具体的な改善例が示されています。
私の母の実家の台所は,こんな感じでした。


この図をよく見ると,水道はありません。そのかわり「水槽」があります。つまり,井戸から水を汲んでここに溜めておくのですね。

また,土間の片隅に「燃料置場」がありますので,おそらく煮物,焼き物には薪や石炭を使っていたのでしょう。

こういう冊子を見ると,祖母や母の時代と比べて私たちの時代はなんて便利で快適なのだろうとつくづくありがたく思います。

当時との一番の違いは,何なんでしょうか?
上下水道と安定したエネルギー(電気,ガス)を誰でも安く容易に使えることになったということでしょう。

今の生活からこれらがなくなってしまったり,足りなくなってしまったら,この冊子の時代に戻ってしまうということなんでしょうね。

7/16/2013

アンティーク絵葉書 まだまだ続く・・・(その2)

前回の続きで箱根から東側です。
まずは,いきなりその箱根から…

相州湯本 正眼寺 曽我兄弟木像
曽我兄弟と言えば,以前アンティーク絵葉書の「神奈川県大磯」編で一度ご紹介しました。
今回は神奈川県箱根の正眼寺に安置されている曽我兄弟の木像です。
鎌倉時代の傑作とされています。


国立公園猿ヶ京 新装成れる猿ヶ京温泉
これは,通信面の上部に書かれている「郵便はがき」が左から書かれていることから昭和20年以降のハガキです。(写真面も左から書かれています。)
「国立公園 猿ヶ京」と書かれていますが,この地域は「上信越高原国立公園」ですので,昭和24年(1949年)に指定された公園となります。


日光三代家光公ニ殉死セシ諸侯之墓
(日光山三百年祭参拝紀念大正四年)
最後は栃木県の日光です。
三代将軍徳川家光公の死に殉じた5名の忠臣の墓を撮影したものです。
写真には「日光山三百年祭参拝紀念 大正四年」のスタンプが押されています。
同じ絵葉書が,日光立図書館のホームページ「日光の古写真・絵図>日光絵葉書>殉死の墓・相生滝>日光三代家光公ニ殉死セシ諸侯之墓」に掲載されていました。


さて,アンティーク絵葉書もずいぶん回を重ねてまいりましたが,まだまだ紹介していないのがたくさんあります。
茨城特集,埼玉特集,台湾,アメリカ,その他ブロマイド?
という感じです。また追ってご紹介します。

アンティーク絵葉書 まだまだ続く・・・(その1)

今回のアンティーク絵葉書は,その他もろもろ編(その1)です。
これまで,夕張,静岡,箱根,軍事演習とかテーマごとにご紹介してきましたが,特にまとまった枚数が揃っているわけではなく,場所も時代もバラバラな絵葉書を脈絡なくご紹介します。

(岡山名勝)後樂園中之島
通信面のデザインから明治後期から大正中期の頃の絵葉書と思われます。
後楽園には行ったことがありませんが,この面影は今も残っているようですね。
中央手前の道に鶴が一羽います。


一ノ谷敦盛塚ト蕎麥屋(須磨名所)
これも時代としては,明治後期から大正中期と思われます。
源平合戦で命を亡くした平敦盛の供養の塔の「そば」にあるお蕎麦屋さんです。
のれんや看板を見ると「一ノ谷名物敦盛そば」と書いてあるのでしょうか?
このお蕎麦屋さんも当時とはすっかりと面影を変えているようですが,同じ場所で営業されているそうです。
ところで,ネットで敦盛塚を調べると「高さ約3.5メートルの五輪の石塔」と書かれています。
この写真の奥の石塔を見ると,とても3.5メートルもあるようには見えませんし,また,石も五段(五輪)ではなく三段しか積まれていないようにしか見えません。
最近の写真には,この写真に写っている石塔の上にもう一つ丸い石が,そして,一番下には四角い大きな石が写っています。
上の丸い石は,影でよく見えないだけなのかもしれませんが,下の大きな四角の石はどう見てもそこに存在しているようには思えません。
一部地面に埋め込まれているのか,何らかの理由で別置きにされているのか?


神戸居留地の景
神戸の外国人居留地は,安政五カ国条約に基づき慶応3年から明治32年までの間、設けられたそうです。
この絵葉書の発行された時期は,おそらく明治後期から大正中期と思われますが,ここに写っている人はみんな洋装ですね。
これまで,同じ時代の絵葉書ではほとんど洋服の人を見かけないので,本当に別世界だったのでしょう。
道路の交差点には白い線が引かれていますが,舗装されているようには見えません。
荷車が中心ですね。


伏見稲荷神社樓門
京都の伏見稲荷大社の楼門です。
これも明治後期から大正中期の絵葉書と思われます。
伏見稲荷大社のHPによれば,この楼門は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされていて,昭和48年(1973年)に解体修理が行われたそうです。
よく見ると多少デザインが変わっているのがわかりますが,その立派な構えは今も昔もなんら変わるところはありません。


とりあえず,本日はここまで。主に西日本を取り上げました。
次回は,箱根から東を中心に取り上げます。

7/15/2013

今日のアンティーク絵葉書は絵画です

今日は建物や風景の絵葉書ではありません。
第十一回文部省美術展覽會で出品された作品です。

文部省美術展覽會は,第1回目が明治40年に開催されたので,第11回というと大正6年に開催されたことになります。

この「文展」は翌年大正7年第12回文展まで続き,その後変遷を経て現在の「日本美術展覧会(日展)」に続いているとのことです。

以下の4枚は,いずれも後世に名を残す方ばかりです。
1枚目の結城素明氏は第10回文展でも特選を受賞し,2年連続の受賞となりました。

(特選)八千ぐさ(其一) (東京)結城素明氏筆



白馬岳八題 (東京)寺崎廣業氏筆



薩南六題(其二) (東京)山内多門氏筆



献燈(其一) (京都)不動立山氏筆




これらのカラーの写真をネットで探しましたが,残念ながら見つかりませんでした。

どちらかの美術館で展示されているようでしたら,一度実物を鑑賞したいものです。

7/14/2013

アンティーク絵葉書 千葉犬吠埼

今日は,名勝地の絵葉書で,千葉県から犬吠埼の海水浴場と旅館です。

「海水浴旅舘暁雞舘之全景」


銚子犬吠岬海水浴旅舘暁雞舘廣間ノ一部


絵葉書の裏側のデザインから明治43年~大正7年の頃の絵葉書だと思われます。

犬吠岬の暁雞舘という旅館,外観も内装もしっかりとした旅館です。
さっそく,インターネットで検索してみますと,ありました!


海辺のくつろぎの宿
ぎょうけい館

創業明治七年
寄せてはかえす白い波・・・
はるか遠くより聴こえくる潮騒の響き。
美しく,壮大なる景観に時を忘れしみじみと旅情に浸るひととき。
悠久の昔から数多くの文人・貴顕に愛され,
今 なお「智恵子抄」の思いが息づく老舗宿,
趣深く,由緒正しき名館・・・ぎょうけい館。



明治7年創業ですからとても歴史のある旅館ですね。
アンティーク絵葉書には,時々旅館や商店を題材としたものがありますが,現在まで継続して営業されているものは多くありません。

いつか機会があれば,泊りに行ってみたいと思います。
(もう50歳を過ぎて,海水浴という年でもありませんので,日の出や新鮮なお刺身を楽しみに行くというのがお勧めでしょうかね?)

ところで,1枚目の写真ですが,当時の水着の女性でも写っているのではないか,と拡大鏡で調べてみました。
もう海の日ですものね。

男も女も日傘を指して,着物を着たまま海を眺めている,という感じですね。
20人くらいでしょうか? 子供はいないみたいです。
すごーくのんびりしています。泳いでいる人は見当たりません。
これだけ広い砂浜を,独占しているようで羨ましいです。



7/13/2013

「大東亜の建設」お譲りしました

先日,戦後GHQ(連合国軍総司令官総司令部)により「焚書」指定を受けたという「大東亜の建設」という書籍についてご紹介しました。

偶然,このような本に非常にご興味を持たれ,研究されておられる方とお話しすることができまして,7月11日にお譲りいたしました。

私が持っていても,豚に真珠,猫に小判というわけで,その価値をご理解いただける方に引き取っていただき,うれしい限りです。

私のブログをご覧になって,ご興味のある本がございましたら,ご遠慮なくお問い合わせください。

7/12/2013

アンティーク絵葉書 千葉県成田山

さて,今回のアンティーク絵葉書は,千葉県成田山です。

成田山本堂ト鐘樓 (下總成田梅屋旅舘發行)


成田山こわれ不動及水行場 (下總成田梅屋旅舘發行)


成田山三重塔及千葉縣物産陳列場 (下總成田梅屋旅舘發行)


通信面のデザインから,明治末期から大正半ばに発行されたものと思われます。

いずれも下總成田梅屋旅舘発行となっています。

いつものようにインターネットで検索すると…
ありました,ありました,梅田旅館が見つかりました。
成田山の参道ですね。

Google Earthで旅館の外観を拝見すると,期待通り,長い歴史を感じさせる木造3階建の立派な構えです。

絵葉書には「非売品」と書いてありますので,宿泊者にお土産として配っていたのでしょうか?

成田山のような神社仏閣はそれぞれ昔も今もその面影を残しながら引き継がれていることと思いますが,旅館や商店などは必ずしもそうとは限りません。
昔の面影を残すことなく最新のデザインに変わってしまったり,場合によっては全く別の物(建物)に変わってしまうことさえあります。

アンティーク絵葉書を整理していて,写真の題材そのものよりも,今回の絵葉書のように,発行した旅館や写真館の方に自分の興味が移りつつあるような気がします。

6/29/2013

六辻尋常小学校開校5周年記念写真

久しぶりに古絵葉書です。

今日は私の母校である六辻尋常小学校(現:さいたま市立南浦和小学校)の開校5周年記念のスタンプが押された絵葉書を紹介します。

まずは,六辻尋常小学校の歴史から…

明治7年4月1日:辻村和光院に辻学校として創設
明治36年5月18日:現在地に校舎を建設し開校
昭和9年4月6日:別所分校開校(1・2年児童収容)
昭和22年4月1日:浦和市立六辻小学校と改称
昭和32年11月1日:浦和市立南浦和小学校と改称、校歌制定
昭和43年4月1日:浦和市立辻小学校開校(児童477名移籍)
昭和47年4月1日:浦和市立文蔵小学校開校(児童559名移籍)
平成13年:さいたま市誕生によりさいたま市立浦和小学校と改称

明治36年5月18日に開校して,明治41年5月18日の5周年記念の日に先生,児童みんなが揃って校舎の前で記念撮影をしたということでしょう。児童はみんな着物ですね



実は,私の父方の祖父母,父も同じ小学校を卒業しています。
祖母は明治31年12月生まれでしたので,明治41年5月と言えば9歳で4年生の頃。だからきっとこの中に写っているのだと思います。
祖母は平成の初めに亡くなりましたが,この写真について話を聞いておけばよかったな,と思います。

この写真でもうひとつお話したいことがあります。
それは,後ろに写っている木造の校舎です。

実は,私の小学校1年生の時の教室はこの校舎でした。
画面から切れていますが,横長に5つの教室があって一番左端の教室でした。

昭和41年11月7日の午前中,確か音楽の授業で木琴をたたいていた記憶がありますが,轟音とともに床が傾きました。
担任の先生が廊下に飛び出して様子を確認すると,「何も持たなくていいからすぐに校庭に逃げなさい,靴は履き替えなくていいから!」と叫んだような気がします。

校舎の下には,校舎と直交するようにJR武蔵野線(当時は国鉄)が通っています。当時はまだ開通前でトンネル工事をしていました。
それが落盤して,横長の校舎の真ん中で二つに折れるように崩れ落ちたのです。

児童は全員無事避難,二つ折れの所には教壇があってそこに立っていた女の先生が下に落ちたのですが,トンネルの中にいた工事関係者にすぐに救助され,軽傷で済みました。
奇跡としか言いようがありません。

当時の新聞(埼玉新聞昭和41年11月8日朝刊1面)を紹介します。



絵葉書と同じ校舎であることがおわかりいただけると思います。

私は,南浦和小学校に改称された後のわずか6年間を過ごしただけでしたが,1年生の時の校舎の陥没事故,3年生になる時に辻小学校開校
に伴い,学校が二つに分けられ,卒業時にも文蔵小学校が開校しさらに二つに分けられるという,130年を超える同小学校にとって激動の6年間だったと思います。(ちょうど埼玉県南部の人口が急上昇した時期でしょうか。)

でも,もっと早くこの絵葉書があることを知っていれば,祖母や父にたくさんのことを聞けたのに,と思うとちょっと残念です。

6/21/2013

GHQ「焚書図書」

半年以上ご無沙汰してました。

さて,今日はなんやらすごいタイトルですが,ワック出版の月刊誌「歴史通」5月号に,「GHQ『焚書図書』個人蔵全公開」というカラー特別企画が掲載されていました。

戦後,GHQ(連合国軍総司令官総司令部)により「焚書」処分にされた本を集めた方のコレクションが紹介されたものです。

それを読んでいたら,どこかで見かけた本が…

表紙の半分がオレンジ色で,タイトルが「大東亜の建設」。

そうです,2年前,2011年6月25日のこのブログで紹介した本でした。(写真が掲載されていますので,ぜひご覧ください。)

当時は,この本がそんな焚書でGHQから没収されるような本であるとはつゆ知らず,ただ,表紙を撮影して紹介しただけでした。

GHQが没収しなければならないほど過激な内容なのか,一度読んでみようと思います。