12/24/2018

大正時代のブロマイド

今回は大正時代の頃のブロマイド風絵葉書3枚です。

まずは、女優の松井須磨子です。
写真の下には、右書きで
大正六年10月新富座(芸術座劇。お艶と新助)
娘お艶(松井須磨子)
と書かれています。

Wikipedia で松井須磨子を検索すると「主な出演記録」の項があって、大正6年(1917年)のところには、
10~11月 -『お艶と新助』(谷崎潤一郎原作、島村抱月脚色)お艶役
と書かれていますので、まさにこの時の公演のものですね。
須磨子はこの芝居の脚色の島村抱月が亡くなった後、その後を追って自殺しましたが、それはこの芝居のわずか1年ちょっとしてからのことです。

次の絵葉書も役者さんの絵葉書だと思いますが、これは写真に何も注釈がないので、どなたなのかわかりません。絵葉書の裏には宛名欄と通信欄の仕切り線が入っていないので、大正6年の松井須磨子の絵葉書よりも古い時代のものかもしれません。

そしてもう一枚は、海外の絵葉書ですが、これも時代やモデルはわかりません。

12/17/2018

ニューヨークの写真

今回の写真はハガキサイズですが、絵葉書ではありません。
両面印刷で、何か冊子を切り離したような感じです。
印刷時期はわかりませんが、自動車や飛行機の形を見ると第二次世界大戦前ですね。

Ellis Island, New York Harbor.


New York Harbor from the Battery.
Showing Statue of Liberty and Ellis Island.

Panorama of Lower Manhattan and
Bay from top of Woolworth Building, New York City.

The Library, Columbia University, New York City.

Skyline of Lower New York as seen from Jersey City.

Columbus Circle, New York.


Brooklyn Bridge and East River, New York.


Elevated R. R. Curve at 110th Street, New York.

General Post Office, New York.

Cathedral of St. John the Divine, New York.

12/01/2018

たけふのうた

おそらく昭和30年代の歌の本です。
カラオケが世に出る前は、こういう歌の本がありました。
表紙がこんな感じ。
旅館とかスナックとかで貰って、みんなで歌っていたんでしょう。
父がどこかでもらってきたのを昔よく見た気がします。

中をめくるとこんな感じで歌詞が書かれています。

武生菊音頭、武生ばやし、武生小唄の3曲ですね。
今でも盆踊りなんかで使われているのでしょうか。

さて、この歌の本を配ったのは、「福井県武生市相生町 国鉄推薦旅館」で「電話52番」とありますが、肝心の旅館の名前が崩し字で私には読めません。

地名も武生市は合併して越前市に変わっています。
また越前市には相生町という町名は既に無くなってしまっているという状況でした。

しかし、ネットの力はすごいもので、「武生 相生町」で検索していくと
武生市史 (武生市): 1965|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
というのがヒットして、そのページを下の方に辿っていくと、
正覚寺文書 〔武生市相生町〕 / p261 (0149.jp2).」
という記述がありました。
今度は「武生 正覚寺」で検索するとたくさんヒットして現在の「京町」であることがわかりました。
京町にはいくつか旅館、ホテルがあります。
となるとやはりあの崩し字を判読しなくてはここで行き止まりです。

しかし、世の中には素晴らしいソフトがあるものです。
 奈良文化財研究所, 東京大学史料編纂所 が共同開発した
木簡・くずし字解読システム―MOJIZO―
というシステムです。
ここに表紙の崩し字を写真に撮って貼り付けると候補となる文字がいくつか出てきます。
そうすると、「阿免屋」となりました。
しかし、先ほど検索した京町の旅館、ホテルにはそのような名前はありません。
名前が変わったのかもしれないと思い、「武生 阿免屋」で検索すると…
ありました、ありました。
おくめんや」と読むようです。

よくここまでわかったものです。
きっと父が泊まったのだと思いますが、夕飯で一杯やりながら歌っていたのでしょう。

昭和16年発行 三省堂編集所編「英語重要単語集(3)」


昭和16年発行の三省堂編集所編「英語重要単語集(3)」です。
初版は昭和7年10月で、この昭和16年発行版は第150版と書いてありますので、当時のベストセラーだったのでしょう。
難易度に合わせて5分冊となっていて、値段はそれぞれ20銭。
縦15㎝×横9㎝で41ページという手軽に持ち運べるサイズとなっています。
表紙

表紙をめくると、発音記号表。戦前でも左から書かれています。
英語表記に合わせたのでしょうか?
発音記号表と内表紙

さらにページをめくると序文です。
この本の特徴や使い方が書かれています。

  • 中等英語教科書や入学試験問題を調査して約5千の重要単語を厳選。
  • 見やすさ、暗記しやすさのため訳語は見開きの隣のページの同じ位置に配置。
  • 常に本書を懐中に収め僅かな時間をも有効に使えるようにした。
  • 既知の単語は鉛筆で消し未知の新語に注力すること。
  • 必要に応じ辞書を用いて一層よく意味や用法を調べること。

序・凡例・略語解

さて、本文です。
見開きの左のページに英単語が2列に並んでいて、右のページにはそれぞれ対応する位置に和訳が書かれています。(序文の説明の通り)
辞書というより暗記のための本なんですね。
各ページの両端に行数を示す数字が書かれていて、左右のページが対照できるようになっています。
本文

最終頁です。
奥付には昭和7年の初版からの経緯が記されていますが、10年ほどの間に150版ですので、多くの英語学習者がこの本を利用していたものと推察します。
右側の最終ページには「スライド使用法」というのが書かれています。
この本は普通の辞書とは異なり、特徴ある単語の配列となっておりますが、これを活用する「スライド」というものがこの本に付属していたのかもしれません。
残念ながらそれらしきものは見当たりませんでした。
奥付と「スライド使用法」

11/28/2018

絵葉書「外房名勝」(続き)

先日紹介した絵葉書「外房名勝」と同じ時期に購入したのでしょうか。
「観光の小湊」という栞が出てきました。
4枚組とありますが3枚しかありませんでした。
印刷ではなく写真をそのまま切り取りリボンを付けた手作りのようです。
栞の上から、誕生寺、妙の浦、鯛の浦の舟出、とタイトルがつけられています。



11/27/2018

古絵葉書 福井観光絵葉書

戦後の絵葉書です。
「福井観光絵葉書」と書かれた袋に14枚のカラーの絵葉書が入っていました。
昭和30年代のものでしょうか?
通信面には「福井ステーションビル発行(観光のふくい)」とあり、右下には「京都・日寫納」とあります。(日寫はおそらく現在のNISSHA株式会社だと思います。京都の老舗で、現在はグローバルな展開をされています。)
我が家の物置には結構昭和30年代頃の福井県の資料があります。
以前このブログで紹介した「昭和30年頃の福井県の地図/市町村合併」、「絵葉書「大本山 永平寺」」など。
父や祖父が旅行にでも行ったのかと思っていたのですが、最近になって、新婚早々の父が仕事で福井に1ヶ月ほど滞在していたことがわかりました。
おそらくこの絵葉書もその時に購入した物でしょう。

福井神社
福井神社の創建は1943年(昭和18年)ですがその後空襲で焼失し、写真の鳥居と拝殿は1957年(昭和32年)に作られたとのことですので、この写真はそれ以降に撮影されたものです。鳥居も拝殿も今は60年の時を感じさせますが、しかし、斬新なデザインの神社ですね。手前は県庁の周りのお堀です。


雪のお泉水
写真正面の建物はかつての 福井藩主松平家の別邸「御泉水屋敷(おせんすいやしき)」と呼ばれています。
平成5年に復元されたとのことですので、この写真はその前のものですね。





継体天皇石像

足羽山中腹にある足羽神社には、継体天皇が祀られています。







福井駅
福井駅は改築され最近はすっかり変わってしまいました。
この駅ビルが懐かしいですね。
また、駅前のバスもみんなボンネットバスです。
ちなみに駅ビルはこの絵葉書を発行した「福井ステーションビル」です。


福井市中心街


今の大名町交差点付近から駅を眺めた景色でしょうか。
上の福井駅前に停まっていたバスが走っています。
道路も広いですね。
わかりにくいですが、右上の方に路面電車が停まっているようにも見えます。

くまがい・こどもえん


熊谷組HPの沿革によれば、熊谷組は昭和31年(1956年)5月「くまがいこどもえん」を福井市へ寄贈したとあります。







福井市郷土博物館

昭和27年(1952年)に福井復興博覧会の会場として設立・開館され、その後福井市郷土博物館となったそうです。平成に入り建物の増改修が行われたとあります。






福井市郷土歴史館
「福井市郷土博物館」は昭和28年(1953年)に足羽山に開館しましたが、平成16年(2004年)に上の絵葉書にある松平家別邸であった「御泉水屋敷」の隣に移転されているそうです。





上水道記念館と配水池

現在、「福井市水道記念館」がありますが、これは大正13年(1924年)に建設された「足羽揚水ポンプ場」がその役目を終え、平成16年(2004年)に「福井市水道記念館」となったとあります。
この「上水道記念館」と同じものなのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。


本町通のこぶし並木
福井大仏観音

このお姿の観音様は昭和33年(1958年)に建立されました。
座像ですが台座を入れて約8mの高さだそうです。
足羽山やまぶき苑


足羽山つつじ苑
花の足羽山

11/23/2018

古絵葉書「水戸」常盤公園(偕楽園)・好文亭・常盤神社・弘道館

絵葉書シリーズ、今回は茨城県水戸。常盤公園(偕楽園)、好文亭、常盤神社、弘道館です。
茨城には30代後半、40代後半とあわせて6年ほど暮らしていましたので季節のイベントに合わせて何度か足を運びました。

通信面には「水戸川又書店発行」と書かれています。
川又書店は水戸駅前に店を構える老舗で私も水戸に行くたびに通ったものですが、日経新聞の記事によれば、2011年の震災後吸収合併されたようです。ただ、そのお名前は残っているようで、ホッとしました。

常盤公園(偕楽園)
偕楽園はご承知の通り、岡山の後楽園、金沢市の兼六園と並ぶ日本三名園の一つで、梅の名所として有名です。
Wikipediaによると、1842年(天保13年)、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により開園されたとあります。
そして、1873年(明治6年)太政官布達第16号で公園地の指定を受け「常磐公園」と命名されましたが、1932年(昭和7年)2月に「偕楽園」と旧称に戻されました。
今回紹介する絵葉書は、通信面のデザインから、大正7年~昭和7,8年頃の発行と思われますが、「偕楽園」ではなく「常盤公園」という名前が使われていますので、昭和7年以前に撮影されたものですね。
偕楽園や好文亭の現在の様子をご覧になるには茨城県公園サポーター「偕楽園 四季の会」さんが運営するHP「速報偕楽園」がお勧めです。
吐玉泉は当時と姿が変わってしまっていますね。ときどき井筒が取り替えられ現在は4代目とのことですが、この写真の当時は何代目だったのでしょうか?
(水戸名所)常盤公園梅林満開
(水戸名所)常盤公園吐玉泉
好文亭
Wikipediaによると、好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された偕楽園内の施設ですが、1945年(昭和20年)空襲で焼失、1969年(昭和44年)落雷で再度焼失し、その都度復元されています。
また、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震でも被害を受けましたが翌2012年(平成24年)には全面復旧し、今に至っているとのことです。
上で紹介した「速報偕楽園」では四季折々の動画や好文亭の内部の「全天球360°映像」が楽しめます。空襲で焼失する前の写真と現在の様子を比べてみるのも興味深いものです。
「水戸名所」常盤公園好文亭
(水戸名所)常盤公園好文亭玄関
好文亭内 梅ノ間
好文亭内 松ノ間
好文亭内 何陋庵茶室待合
好文亭内烈公何陋庵茶室
好文亭内何陋庵茶室庭
好文亭内 西榭
好文亭内烈公御居間
好文亭内 東榭
好文亭内 楽壽楼
好文亭内楽壽楼昇降機
常盤神社・弘道館
常盤神社は明治の初めに建立された徳川光圀、徳川斉昭を祀った神社です。
この写真の社殿は残念ながら空襲で焼失してしまったようです。
弘道館は、徳川斉昭により作られた藩校です。
ネットで見られる最近の写真と比べて建物はあまり違いが感じられませんが、玄関前の木の枝ぶりは随分異なっているように見えます。植え替えられたのかもしれませんね。
(水戸名所)常盤神社
(水戸名所)弘道館玄関