7/26/2015

昭和を振り返る

今日は朝から本当に暑い。
外にいたら本当に熱中症になってしまうかもしれません。
でも、野菜に肥料をあげないといけないし、雑草取りもしないといけないし…
ということで、屋外作業は夕方から始めることにして、古本の整理・処分をすることにしました。

今日は少し昭和の時代を振り返る、というような感じでピックアップしてみました。



それぞれの本の著者や内容については、Amazonなどでそれぞれ図書名を検索するとだいたいヒットしますので、ご参照いただければと思います。

●永野護「敗戦真相記 予告されていた平成日本の没落」
●落合信彦「ベルリンからの激震」
●ダニエル・ベル(蠟山昌一訳)「社会科学の現在」
●酒井三郎「昭和研究会 ある知識人集団の軌跡」
●デービッド・バーナム(田原総一郎訳)「コンピュータ国家」
●ハーバード核研究グループ(永井陽之助監修)「核兵器との共存」
●加藤周一「私にとっての20世紀」
●河合隼人・石井米雄「日本人とグローバリゼーション」(→これは直接昭和には関係ないですね)

これらの本の中には、1970年代後半から1980年代にかけて発行されたちょっと古いものもあります。
1ヶ月くらいの間に、障害者の団体にお譲りする予定です。もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、お譲りしますのでご連絡ください。。

ビートたけし 「少年」



10年くらい前に読んだ時、ビートたけしさんってこんなお話も書けるんだと、たけしさんの才能に感心した記憶があります。

3つの物語ですが、それぞれ懐かしい気持ちになり、「少年」の時の自分に主人公を重ねて、胸がキュンと痛む。そんなふうに感じながら読みました。

昨日書いたあさのあつこさんの「バッテリー」と少し共通するところがあるような気がしますね。

7/25/2015

バッテリー <あさのあつこ>

今から10年ほど前に読みました。
息子が小学生の頃はソフトボール、そして中学で軟式野球をやっていたこともあり、本屋さんで積み上げられているのを見て、ふと読みたくなったんですね。
たしかラジオでもドラマ化されていたと思います。
車の中で何度か聞いた気がします。
本を読んだのとラジオで聞いたのとどっちが先だったかな?

5冊全部読んだはずだったけど、バッテリーⅢだけ見つかりません。


いつものように、障害者の団体にお譲りするつもりですが、どうせならセットでお譲りしたいです。
取りに来ていただくまで、もう少し探してみようと思います。

7/19/2015

昭和20年3月発行「大東京交通図」

昭和20年3月発行の東京の電車路線図です。

発行所・交通案内社、配給元・日本出版配給株式会社、定価一円とあります。
掲載されているのは、省線、会社線、都電で、やはりこの頃は都電のネットワークが一番充実していたように思えます。

また、東京の区の名称も今とずいぶん違っています。
この路線図を見た限りでは、麹町区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、淀橋区、小石川区、本郷区、神田区、下谷区、浅草区、本所区、深川区、城東区、向島区、滝野川区、王子区など。

ところで、現在のJR、私鉄と比べてみました。
時代が経つにつれて、新しい駅ができるのは当然のように思えますが、結構無くなってしまったり、駅の名前が変わってしまったりしたものもありました。
さらには、鉄道会社まで変わってしまったものもあります。

ざっとご紹介すると、
京浜線(京浜東北線)
・下十条(1957年東十条駅)

京成電軌(京成電鉄)
・博物館動物園前(2004年廃止)
・寛永寺坂(1953年廃止)
・道灌山通(1947年廃止)
・西千住(1947年廃止)
・荒川(1994年八広駅)
・向島(1947年廃止)
・京成請地(1947年廃止)

東武鉄道
・北十間(1946年廃止)
・平井街道(1945年廃止)
・十間橋通(1958年廃止)
・虎橋通(1945年廃止)
・玉ノ井(1987年東向島駅)
・中千住(1962年廃止)
・雷門(1945年浅草駅)
・隅田公園(1958年廃止)
・業平橋(2012年とうきょうスカイツリー駅)
・請地(1947年廃止)

東京急行東横線
・青山師範前(1943年第一師範駅、1952年学芸大学駅)

東京急行玉川線(田園都市線)
・上通、大橋、池尻、三宿
 (いずれも1969年玉川線廃止に伴い廃止)

東京急行井ノ頭線(京王電鉄井の頭線)
・一高前(1951年東大前駅、1965年駒場駅と統合し駒場東大前駅)
・駒場(1965年東大前駅と統合し駒場東大前駅)

東京急行小田原江ノ島線(小田急電鉄小田原線)
・山谷(1946年廃止)

東上線
・武蔵常盤(1951年ときわ台駅)

武蔵野線(西武鉄道池袋線)
・上り屋敷(1953年廃止)


多少ピンボケですがアップの写真も載せますのでご覧ください。

現在の浅草・東京スカイツリー近辺


渋谷・新宿近辺

今回、Wikipediaなどでいろいろ調べてみたのですが、廃止や駅名が変わった理由までしっかりと書かれているので、ずいぶん勉強になりました。

7/12/2015

日本興業銀行創立60周年記念双六

日本興業銀行という名前が消えてからもう10年以上たちますね。
その興銀の創立60周年記念の双六(すごろく)が出てきました。
興銀の設立は明治35年3月(1902年)ですので、創立60周年というと昭和37年(1962年)です。



「五十三次道中双六」というタイトルで、江戸日本橋から京を目指して進んでいくんですね。

サイコロと駒もついています。
駒は、興銀のマスコット、キューピーちゃんです。

ロケットの駒もついていますが、五十三次双六の裏面は「QPロケット宇宙めぐり」というもう一つ双六が付いていて、それの駒です。

子供の頃は双六をよくやりましたね。
両親や祖母もよく子供の相手をしてくれたなあ、と思います。
子供の雑誌の正月号には必ず付録に双六がついていました。
でも、この双六は記憶にありません。サイコロや駒も未使用ですので、ずっと仕舞ったままだったのでしょう。

7/11/2015

続けて川口 今度は30周年

2日前に「昭和8年発行 川口市勢要覧」をご紹介しましたが、今日は一気にそれから30年飛んで川口市 市制施行30周年パンフレットです。


昭和37年(1962年)11月23日、川口市立体育館で30周年記念式典が開催され、その時にいただいたもののようです。

祖父は以前川口市役所に勤務していましたが、30周年記念式典の前に他界しました。
この式典に先立ち「30周年物故功労者慰霊祭」が営まれ、その時の記念写真に父が写っているので、慰霊祭終了後、引き続き記念式典に参加してこのパンフレットをいただいたのではないかと思います。

パンフレットには30年の間の人口、財政、産業などの発展の様子が説明されていますが、人口は4倍、市の予算は3379倍(貨幣価値が変わっているので何とも言えませんが…)にも成長しています。
昭和8年の教育費は、全経常分歳出の半分以上を占めていましたが、昭和37年の段階でも約25%と大きな割合を占めています。(ちなみにネットで川口市の平成26年、27年の予算を調べてみると教育費は10~15%でした。)

このパンフレットには、ソノシート(懐かしい!)がついていて、川口市民歌と川口市民行進曲の2曲が入っています。

残念ながら、我が家にはレコードプレーヤーがないので聴くことはできません。

7/09/2015

昭和8年発行 川口市勢要覧

先日、昭和5年発行の「埼玉県勢要覧」をご紹介しました。

今回は、昭和8年発行の「川口市勢要覧」です。
「市制施行記念」と書かれている通り、川口市は昭和8年4月1日に発足しました。


埼玉県勢要覧と同様、中には折りたたまれた川口市全図(縮尺二万分の一)が入っています。
そして裏には、川口市の名前の由来、沿革、鋳物工業の沿革や諸データが書き込まれています。


要覧の諸データの一つとして市内の世帯数は記載されるのは当然です(当時8,860世帯)。
しかし、驚いたのは、「電燈電力」、「瓦斯」という項があって、そこには、電燈需要戸数(8,627)、取付燈数(30,825)、瓦斯需要戸数(679)というような、今では自治体として数えることに意味があるのか?と思えるような数字も並んでいます。(もちろん電力会社やガス会社にとって契約世帯数は非常に重要なデータでしょうが…)

また、「財政」の部では、経常分歳出272,780円のうち教育費が半分以上の143,616円を占めていて、当時教育に物凄く力を入れていたことに感心しました。

その他、川口らしいデータとしては、
・産業団体の組合員数では「川口鋳物同業組合」が一番。
・主要発送貨物の金額のトップは鋳物ですが、二番、三番は「麦酒」、「清涼飲料水」。

川口駅の北側、線路の東側に十数年前まではサッポロビールの工場がありました。その前身の「ユニオンビール會社」の工場が昭和8年の頃すでに操業していたんですね。


川口駅の西側に「燃料研究所」がありますが、これも、資源技術研究所、公害資源研究所と名前を変え、その後川口から移転し、今は、川口文化センター(リリア)や高層住宅となっていますね。

7/08/2015

久しぶりにアンティーク絵葉書 「陸軍恤兵部発行/軍人画家 武藤夜舟」

物置から出てきた絵葉書5枚組です。

カラーの絵葉書で、宛名・通信面の上部には「郵便はがき」、中央の宛名部と通信欄の仕切りのところに「陸軍恤兵部発行」、下部には「東京印刷株式会社 印行」と書かれています。(いずれも右から左向きに書かれたもの)

陸軍恤兵部(りくぐんじゅっぺいぶ)とは、Wikipediaによれば、
陸軍恤兵部(りくぐんじゅっぺいぶ)は陸軍省内の部署の一つ。長は恤兵監。
戦地への慰問、或は慰問で送られるものを「恤兵」と呼ぶがこの部署では主にその恤兵の管理などを行っていた。日中戦争の長期化に伴って恤兵も大きく増加したため、その規模は拡張した。
とあります。

皇軍歓迎

路傍之恵み

宿舎

慰問品

農民之純情


いずれも、中国での日本軍の様子を題材にしたもののようです。
署名と落款を見ると「夜舟」と読めるので、ネットで検索してみたら「軍人画家 武藤夜舟」がヒットしました。
満州事変や日中戦争を題材とした作品が多いとのことです。


7/06/2015

昭和5年発行 埼玉県勢要覧

物置から出てきました。
埼玉県が昭和5年に発行した「埼玉県勢要覧」です。

これは二つ折りの資料のカバーを二つに開いて写真を撮ったものです。



そして、中には新聞紙を広げたくらいの大きさの紙がたたまれて閉じこまれています。表側には埼玉県全図が、裏側にはぎっしりと埼玉県の諸データ(昭和3年時点における)が書き込まれています。
どんな内容か、といいますと、次の写真をご覧ください。


例えば、「交通及運輸」の項では、国道・県道の県内総延長、国有鉄道・地方鉄道・軌道の総延長などの他に、「馬車(乗用、荷積車)」「牛車」「荷車」の次に「自動車(乗用、荷積車)」「人力車」「自転車(自動、普通)」「小舟」の数が記載されています。当時の県内の様子がなんとなく想像できます。

ちなみに、県が発行者ですが、印刷は浦和町の山本印刷所というところが行っているようです。浦和町206番地となっていますが、今でも残っているのでしょうか?