先日、昭和5年発行の「埼玉県勢要覧」をご紹介しました。
今回は、昭和8年発行の「川口市勢要覧」です。
「市制施行記念」と書かれている通り、川口市は昭和8年4月1日に発足しました。
埼玉県勢要覧と同様、中には折りたたまれた川口市全図(縮尺二万分の一)が入っています。
そして裏には、川口市の名前の由来、沿革、鋳物工業の沿革や諸データが書き込まれています。
要覧の諸データの一つとして市内の世帯数は記載されるのは当然です(当時8,860世帯)。
しかし、驚いたのは、「電燈電力」、「瓦斯」という項があって、そこには、電燈需要戸数(8,627)、取付燈数(30,825)、瓦斯需要戸数(679)というような、今では自治体として数えることに意味があるのか?と思えるような数字も並んでいます。(もちろん電力会社やガス会社にとって契約世帯数は非常に重要なデータでしょうが…)
また、「財政」の部では、経常分歳出272,780円のうち教育費が半分以上の143,616円を占めていて、当時教育に物凄く力を入れていたことに感心しました。
その他、川口らしいデータとしては、
・産業団体の組合員数では「川口鋳物同業組合」が一番。
・主要発送貨物の金額のトップは鋳物ですが、二番、三番は「麦酒」、「清涼飲料水」。
川口駅の北側、線路の東側に十数年前まではサッポロビールの工場がありました。その前身の「ユニオンビール會社」の工場が昭和8年の頃すでに操業していたんですね。
川口駅の西側に「燃料研究所」がありますが、これも、資源技術研究所、公害資源研究所と名前を変え、その後川口から移転し、今は、川口文化センター(リリア)や高層住宅となっていますね。
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