新訂 埼玉県管内全図(明治13年3月30日発行)の続きです。
私の住んでいるさいたま市(旧浦和市)を見ると、当時の地名が今もほとんど残っています。
私の住んでいるさいたま市(旧浦和市)を見ると、当時の地名が今もほとんど残っています。
浦和、大宮、与野、岩槻が合併して、区制が施行された時に昔ながらの地名が消えてしまうという話もありましたが、本当に嬉しいことです。
また、大宮氷川神社、浦和の調神社、玉蔵院、埼玉県庁もあります。
玉蔵院のすぐ北には郡役所もあります。
(この地図には足立郡と記載されていますが、Wikipediaによると明治11年に足立郡の東京府の範囲が南足立郡として分離し、この地図が発行される前年の明治12年に残された埼玉県の範囲が北足立郡となり、足立郡は消滅しています。)
また、大宮氷川神社、浦和の調神社、玉蔵院、埼玉県庁もあります。
玉蔵院のすぐ北には郡役所もあります。
(この地図には足立郡と記載されていますが、Wikipediaによると明治11年に足立郡の東京府の範囲が南足立郡として分離し、この地図が発行される前年の明治12年に残された埼玉県の範囲が北足立郡となり、足立郡は消滅しています。)
新訂 埼玉県管内全図(中央部拡大) |
この地図を見ると北の地方に向かう鉄道がくっきりと書かれています。
明治13年当時、鉄道は新橋〜横浜が開通したばかりで、これらの鉄道はまだ出来ていなかったはず。
明治13年当時、鉄道は新橋〜横浜が開通したばかりで、これらの鉄道はまだ出来ていなかったはず。
でも、この地図には…
新訂 埼玉県管内全図(北部拡大) |
よく見ると、これ後から書き込まれた線路です。
地図上の地名を辿ってみると、以下の通りでした。上野(明治16年7月28日開業)
~大宮(明治18年3月16日)
~久喜(明治18年7月16日)
~栗橋(明治18年7月16日)
これは現在の東北本線ですね。
大宮(明治18年3月16日開業)
~熊ヶ谷(熊谷:明治16年7月28日)
~本荘(本庄:明治16年10月21日)
~新町(明治16年12月27日)
これは現在の高崎線です。
熊ヶ谷(熊谷:明治34年10月7日開業)
~石原(明治34年10月7日)
~大麻生(明治34年10月7日)
~田中(武川:明治34年10月7日)
~小前田(明治34年10月7日)
~寄居駅(明治34年10月7日)
これは現在の秩父鉄道秩父本線です。
千住(北千住:明治32年8月27日開業)
~草加(明治32年8月27日)
~粕壁(春日部:明治32年8月27日)
~久喜(明治32年8月27日)
~加須(明治35年9月6日)
現在の東武伊勢崎線です。
もう一つ川越から南下する線が書き込まれています。
川越(本川越:明治28年3月21日開業)
~大塚(南大塚:明治30年11月14日)
~入間川(狭山市:明治28年3月21日)
~南入曽(入曽駅:明治28年3月21日)
~所澤(所沢:明治28年3月21日)
おおむね現在の西武新宿線ですが、所澤より南側は、地図の地名を辿っていってもよくわかりません。
所澤の南、久米という地区の西側から荒畑(現在の荒幡か?)の西側までというと、現在の西武池袋線から西所沢駅を経由して西武狭山線辺りまでという感じです。
明治の中期までに開通していた路線としては今の西武新宿線、国分寺線ですが、西所沢駅は大正4年の開業(開業当時は小手指駅)ですので、ちょっと時期がずれています。
ということで、明治13年発行の埼玉県管内全図に、明治35年頃までの情報をおそらく私のご先祖様が書き込んだものと思われます。
鉄道が通る地名を結んで書いたのだと思いますが、こういう細かいことが好きな性格が子孫の私に伝わっているのでしょう。
~南入曽(入曽駅:明治28年3月21日)
~所澤(所沢:明治28年3月21日)
おおむね現在の西武新宿線ですが、所澤より南側は、地図の地名を辿っていってもよくわかりません。
所澤の南、久米という地区の西側から荒畑(現在の荒幡か?)の西側までというと、現在の西武池袋線から西所沢駅を経由して西武狭山線辺りまでという感じです。
明治の中期までに開通していた路線としては今の西武新宿線、国分寺線ですが、西所沢駅は大正4年の開業(開業当時は小手指駅)ですので、ちょっと時期がずれています。
ということで、明治13年発行の埼玉県管内全図に、明治35年頃までの情報をおそらく私のご先祖様が書き込んだものと思われます。
鉄道が通る地名を結んで書いたのだと思いますが、こういう細かいことが好きな性格が子孫の私に伝わっているのでしょう。
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