「新訂 埼玉県管内全図」で明治13年3月30日発行です。
明治13年(1880年)といえば、私が生まれる80年前で、私の祖父が生まれるよりも前です。結構見どころ満載ですね。
まず、明治13年当時の埼玉県の状況をWikipediaで押えておくことにしましょう。
- 慶応4年(1868年) - 6月19日、忍藩士の山田政則が武蔵知県事に就任、旧幕府領を管轄する。
- 明治2年(1869年) - 1月10日、山田政則知県事が宮原忠英に交代。1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置し、県庁は東京府馬喰町に置かれる。9月29日、県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
- 明治4年(1871年) - 7月14日、廃藩置県を受けて藩領に川越県・忍県・岩槻県の3県が誕生。11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生(足立郡・埼玉郡・葛飾郡の一部。現在の東部地域に相当)。同日、川越県は品川県の一部を吸収して入間県となる(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)。埼玉県の県庁所在地は埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)とされたが、適する建物が無く、旧浦和県庁を流用する形で浦和宿(現さいたま市浦和区)に県庁が置かれた。入間県の県庁は川越城に置かれた。
- 1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁は熊谷駅(現熊谷市)に置かれた。
- 1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。
- 1883年(明治16年)7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」(東北本線・高崎線上野駅-熊谷駅間)が開業し、浦和駅・上尾駅・鴻巣駅・熊谷駅が開業。
まず表紙です。
12×18cmのボール紙2枚をそれぞれ一方の長辺の両端、中央を紐で結び、見開き本のようにした台紙の間に、この赤い一枚紙の表紙と折り畳まれた地図が挟まっています。
編集は諸井興久、根岸武香。
ネットで調べると、お二人とも埼玉県の郷土史を語るうえでは欠かせない名士です。
Wikipediaで当たってみると…
幕末期の当主であった諸井五左衛門興久は、1889年(明治22年)の町制施行の時、初代本庄町長に就任した、とあります。
また、根岸武香は、明治12年(1879年)に埼玉県議会開設と共に県会議員に選出されて副議長、その後第2代議長、第10代議長を務め、明治27年(1894年)には貴族院多額納税議員に選出された、とあります。また、吉見百穴の発掘に参加し保存に努めると共に、これを世間に紹介された、とあります。
地図の全体像です。
埼玉県管内全図ではありますが、今の埼玉県よりも随分広い範囲が描かれています。
南は横須賀、逗子の境界当たりまで。
西は秩父、北は群馬との県境、東は江戸川沿いの千葉との県境まで。
江戸川と利根川の間の千葉県野田市の一部も含まれています。
東京湾はまだ埋立て前で、鉄道は芝~高輪~品川あたりで海の上を通っています。
海岸線は築地の辺り。佃島や石川島、お台場は海の中ですね。
道路のように見えるのは川ですね。新宿から西の方角へまっすぐ続くのは玉川水道(玉川上水)です。
これは、地図の右下に書かれている凡例と奥付です。
凡例には今の時代には無くなってしまったものが書かれています。
国境、原野、鎮台、渡舟など。
鎮台はWikipediaによると、
鎮台(ちんだい)は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。ということで、設置期間が僅か20年弱ですので、これが記載されている地図というのは珍しいのかもしれません。
また、原野というのも、開発しつくされた現在では見られませんね。
埼玉北部の現在の東松山市付近、所沢市北部~三芳町~川越市南部、小平市~立川市~福生市付近が原野の記号で表されています。
また、郵便局という二重枠のしるしがあります。
地図を見てみると、例えば私の住むさいたま市周辺では、川口、戸田、蕨、浦和、與野(与野)、大宮といった地名がこの二重枠の中に書かれています。
鉄道の駅と一瞬錯覚しましたが、これ、郵便局のある町、村を示しているようです。
いずれにしても、地名が、「郵便局」「宿駅」「町村」「枝村」という区分で表現されているのは面白いです。
奥付には、編集人の他、出版人、発売の名前が書かれていますが、住所の他身分(平民)まで書かれています。これらの方のお名前はネット検索すると当時の多くの書物の発行人、販売人としてヒットします。
欄外に小さな文字が見えるでしょうか?
「東京 本所 山中銅鐫」とあります。「鐫」という文字は初めて知りましたが、彫るという意味でした。銅版の地図なんですね。
少し長くなったので、今回はここまでにします。
0 件のコメント:
コメントを投稿