東城鉦太郎の筆による日本海々戦の図(三笠艦橋の図)です。
もちろん原画ではありません。賞状のような紙に印刷されたものです。
絵の周りに余白があり、左側には「昭和十三年五月 海軍省」、右下には「印刷者 東京市麹町区内幸町帝国海軍社」と書いてあります。
そして右側の余白には、絵のタイトルと説明があります。
日本海々戦 明治三十八年五月二十七日午後二時二分、有名なる「皇国興廃在此一戦各員一層奮励努力」の信号の揚りし後今や戦闘開始に移らんとする際の三笠艦橋おそらく、国民の意識高揚のために発行されたのでしょう。
Wikipediaの「東城鉦太郎」に「三笠艦橋の図」という一項があります。
そこには、次のように書かれています。
日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊と接触した直後の情景を描いたもので、Z旗が左上に上がっている。
書かれている人物は、右から伝令の玉木信介候補生(三笠が佐世保での爆発事故の際に殉職)、同じく伝令の三浦忠一水(その後不明)、参謀の秋山真之中佐(後の海軍中将)、長官の東郷平八郎大将(後に元帥海軍大将)、測的係(測距儀を覗き軍帽だけ映っている人物)の長谷川清少尉候補生(後に海軍大将)、参謀長の加藤友三郎少将(後に元帥海軍大将、首相となる)、伝令の野口新蔵四水(その後不明)、砲術長の安保清種少佐(後に海軍大将、海軍大臣)、艦長の伊地知彦次郎大佐(後の海軍中将・練習艦隊司令官)、砲術長付(双眼鏡で敵艦隊を覗いている人物)の今村信次郎中尉(後に海軍中将、第三艦隊司令長官)、航海長布目満造中佐(後の海軍中将)、参謀(階段を登っている人物)の飯田久恒少佐(後の海軍中将)、航海士の枝原百合一少尉(後の海軍中将)、伝令の山崎嚴亀(その後不明)となっている。
現在知られているこの絵は関東大震災で一度焼失した後に描き直されたもの。煙突の煙やハンモックの縛り方などいくつか違いがあるが、描かれている人物は変わっていない。近年、旧作では秋山真之は描かれていなかったとする著作がいくつかあるが、菊田愼典『坂の上の雲の真実』の間違った記述を確認せず採用したものである。
司馬遼太郎の坂の上の雲の登場人物が勢揃いといった感じです。
ところで、上の図は絵をそのままiPadで撮影したものですが、Windowsフォトギャラリー2012で画像の自動調整(ノイズ除去、色、露出、傾きの調整)を行ってみると、なんとも美しい画像になりました。
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