10/19/2022

駅伝のコース図

駅伝のコース図と思われる資料が出てきました。わら半紙にガリ版刷りです。

生前、父が旧制浦和中でマラソンや駅伝の選手だったと言っていましたので、その当時(昭和20年3月に卒業)のものだと思いますが、何の大会なのかはわかりません。

 

【スタート】大宮市 官幣大社氷川神社前
   ↓(第1区 8.64km)
【第1中継点】上尾町 国民学校入口
   ↓(第2区 4.00km)
【第2中継点】桶川町 東電出張所前
   ↓(第3区 8.32km)
【第3中継点】鴻巣町 国民学校入口
   ↓(第4区 4.48km)
【第4中継点】東吉見村 氷川神社前
   ↓(第5区 7.68km)
【第5中継点】松山町 縣社箭弓神社前
   ↓(第6区 10.56km)
【第6中継点】坂戸町 角屋旅館前
   ↓(第7区 4.80km)
【第7中継点】名細村 国民学校前
   ↓(第8区 6.00km)
【第8中継点】川越市 縣社氷川神社前
   ↓(第9区 11.10km)
【第9中継点】五味貝戸バス停留所前
   ↓(第10区 7.20km)
【ゴール】大宮市 官幣大社氷川神社前

全部で72.78km。距離からすると結構立派な大会ですね。きっと道路も舗装されていなかったのだと思うので、走るのは大変だったろうなと思います。

現在の道路に置き換えてみました。


中継点は、例えば「国民学校」などは当然今はありませんので、だいたい付近の創立が古い小学校などに置き換えました。

第2中継点、桶川町の東電出張所は東京電力ではないですね。終戦前なので東京電燈でしょうか?
Wikipediaで調べてみると「東京電燈自体は9配電会社設立に伴い、1942年(昭和17年)4月1日をもって関東配電へ吸収された」とありますので、ちょうど名称が変わった頃で、まだ古い名称が使われていたのかもしれません。

第6中継点の坂戸町角屋旅館は残念ながら今は無いようです。
ただ、角屋旅館ではなく旅籠角屋で検索すると、結構ヒットして坂戸駅北口から徒歩5分ほどの日の出町交差点の角にあったことがわかりました。

いずれ機会があれば、父が走ったであろうコースを巡ってみたいと思います。
もちろん車でね(^^;)


10/17/2022

盛岡市本町 田口写真機店

父の遺品から一枚の封筒が出てきました。

写真屋さんに写真の現像をお願いしてネガと写真が戻ってくるときの封筒です。

盛岡市本町の田口寫眞機店と書かれています。

 

父は昭和20年4月から盛岡農林専門学校に通うため、盛岡市内で下宿生活をしていました。

この封筒にはネガや写真が入っていたわけではなく、身分証明書(いわゆる学生証ですね)や校友会費領収書(学生自治会の会費のようなものでしょうか)などが入っていました。

身分証明書は3学年の時のもので発行日が昭和22年4月1日、領収書も3学年の時のもので昭和22年5月、昭和23年3月でしたので、この封筒もその当時のものだと思います。

この写真の袋はとても素敵なデザインですね。
最初は絵葉書が入っているのだと思ったくらいです。

盛岡市本町の田口寫眞機店をネットで検索してみたところ、2021年5月に閉業されたとありました。

機会があれば、若かりし頃の父がお世話になった写真屋さんを訪れてみたかったのですが、とても残念です。





10/16/2022

EDP定規<電子計算機用定規>



 昭和43年(1968)4月に発売された「EDP定規<電子計算機用定規>」です。

発売元は株式会社内田洋行で、定価は400円でした。

大学に入ったのはその10年後でしたが、Fortranの授業ではこの定規を使いました。

今も、当時のような流れ図を作ることはあるのかもしれませんが、パソコンで効率よく作っているのではないでしょうか。

もはや定規と鉛筆、消しゴムで作る人はほとんどいないでしょうね。

ほとんど使われることがなくなったけど、やっぱり昔お世話になったなということで、なかなか捨てることはできませんね。

三角定規やコンパスももう何年も使っていないような気がします。




10/15/2022

日中復交記念タバコ

 2年ぶりの投稿です。

日中復交記念タバコの空き箱です。

内箱はありませんでした。
(もちろんタバコも)

朝日新聞からの贈呈品で、ホープ10本入りと書かれています。

おそらく1972年9月の国交正常化にあわせて配られたものだと思います。

日中国交正常化50周年のタイミングでよく見つかったものです。 

この頃はノベルティーとしてタバコも使われていたんですね。






6/28/2020

昭和4年敬老状

久しぶりの書き込みになります。

昭和4年(1929年)4月20日、六辻村(現在の埼玉県さいたま市南区の一部)教育会長から高齢者慰安会において曽祖父に喜寿を祝って贈られた「敬老状」です。


曽祖父は昭和14年に87歳で亡くなったそうですが、昭和初期の時代では、かなり長寿だったと思います。

1/11/2020

大正~昭和初期の書き損じの古絵葉書の宛先がわかりました

以前大正末期から昭和初期の頃の台湾の絵葉書についてご紹介しました。

その5枚の絵葉書の中に1枚、宛先まで書かれて書き損じとなったはがきがあり、その宛先の住所が、私が30代後半に転勤で家族と暮らしていた茨城県内の社宅すぐ近くの神社だったのです。
達筆の筆書きのため、差出人の名前は読み取れませんが、少なくとも苗字が私とは違います。また、住所は書かれておらず「臺灣(台湾)にて」と書かれているようです。
差出人と宛先の方との関係はわかりません。

一度、その神社を訪れたいとずっと思っていたのですが、今日、ようやく念願がかない、宮司さんとお会いすることができました。

やはり、その宛名の方は、今の宮司さんのおじい様でした。
(既にお亡くなりになっていらっしゃいました。)

残念ながら、差出人については思い当たる方はいらっしゃらないとのことでしたが、
「当時、台湾という海の向こうの国に行くということはすごく大変なことなので、出発する前に神社で祈願をして、そのお礼のはがきを出そうとしたのかもしれませんね。」

しかし、百年近く前から今の私たちには全く知らないところで不思議なご縁があったということで、いろいろとお話ができました。

5枚の絵葉書はもちろん宮司さんにお渡ししてきました。
長い時間がかかりましたが、届くはずだったところに届いてホッとした気持ちです。

6/10/2019

続:Olympus Chrome Six Mod.III 説明書(英文)

先日のブログで「Olympus Chrome Six Mod.III 説明書(英文)」をご紹介しました。

これは、どちらかというとカメラの特長や性能について説明された内容でしたが、今度はカメラの取り扱い方法が記された取扱説明書(英文)が出てきました。



表紙をめくると、Olympus Chrome Six の仕様・特徴が書かれていて、オリンパスZUIKOレンズやCOPALシンクロシャッター、セルフタイマーの装備、フラッシュのシンクロ化などが紹介されています。



そして、もう一ページめくると、カメラの構造図が出てきて、その後のページからそれぞれの取り扱いの説明が始まります。


後ろのページには、鉛筆で英単語の日本語訳がところどころ書き込まれていましたが、日本語の説明書はなかったんですかね?