先日紹介した絵葉書「外房名勝」と同じ時期に購入したのでしょうか。
「観光の小湊」という栞が出てきました。
4枚組とありますが3枚しかありませんでした。
印刷ではなく写真をそのまま切り取りリボンを付けた手作りのようです。
栞の上から、誕生寺、妙の浦、鯛の浦の舟出、とタイトルがつけられています。
11/28/2018
11/27/2018
古絵葉書 福井観光絵葉書
戦後の絵葉書です。
「福井観光絵葉書」と書かれた袋に14枚のカラーの絵葉書が入っていました。
昭和30年代のものでしょうか?
通信面には「福井ステーションビル発行(観光のふくい)」とあり、右下には「京都・日寫納」とあります。(日寫はおそらく現在のNISSHA株式会社だと思います。京都の老舗で、現在はグローバルな展開をされています。)
我が家の物置には結構昭和30年代頃の福井県の資料があります。
以前このブログで紹介した「昭和30年頃の福井県の地図/市町村合併」、「絵葉書「大本山 永平寺」」など。
父や祖父が旅行にでも行ったのかと思っていたのですが、最近になって、新婚早々の父が仕事で福井に1ヶ月ほど滞在していたことがわかりました。
おそらくこの絵葉書もその時に購入した物でしょう。
福井神社の創建は1943年(昭和18年)ですがその後空襲で焼失し、写真の鳥居と拝殿は1957年(昭和32年)に作られたとのことですので、この写真はそれ以降に撮影されたものです。鳥居も拝殿も今は60年の時を感じさせますが、しかし、斬新なデザインの神社ですね。手前は県庁の周りのお堀です。
昭和27年(1952年)に福井復興博覧会の会場として設立・開館され、その後福井市郷土博物館となったそうです。平成に入り建物の増改修が行われたとあります。
「福井市郷土博物館」は昭和28年(1953年)に足羽山に開館しましたが、平成16年(2004年)に上の絵葉書にある松平家別邸であった「御泉水屋敷」の隣に移転されているそうです。
現在、「福井市水道記念館」がありますが、これは大正13年(1924年)に建設された「足羽揚水ポンプ場」がその役目を終え、平成16年(2004年)に「福井市水道記念館」となったとあります。
この「上水道記念館」と同じものなのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。
このお姿の観音様は昭和33年(1958年)に建立されました。
座像ですが台座を入れて約8mの高さだそうです。
「福井観光絵葉書」と書かれた袋に14枚のカラーの絵葉書が入っていました。
昭和30年代のものでしょうか?
通信面には「福井ステーションビル発行(観光のふくい)」とあり、右下には「京都・日寫納」とあります。(日寫はおそらく現在のNISSHA株式会社だと思います。京都の老舗で、現在はグローバルな展開をされています。)
我が家の物置には結構昭和30年代頃の福井県の資料があります。
以前このブログで紹介した「昭和30年頃の福井県の地図/市町村合併」、「絵葉書「大本山 永平寺」」など。
父や祖父が旅行にでも行ったのかと思っていたのですが、最近になって、新婚早々の父が仕事で福井に1ヶ月ほど滞在していたことがわかりました。
おそらくこの絵葉書もその時に購入した物でしょう。
福井神社 |
平成5年に復元されたとのことですので、この写真はその前のものですね。
足羽山中腹にある足羽神社には、継体天皇が祀られています。
今の大名町交差点付近から駅を眺めた景色でしょうか。
上の福井駅前に停まっていたバスが走っています。
道路も広いですね。
わかりにくいですが、右上の方に路面電車が停まっているようにも見えます。
熊谷組HPの沿革によれば、熊谷組は昭和31年(1956年)5月「くまがいこどもえん」を福井市へ寄贈したとあります。
継体天皇石像 |
足羽山中腹にある足羽神社には、継体天皇が祀られています。
福井駅は改築され最近はすっかり変わってしまいました。
この駅ビルが懐かしいですね。
また、駅前のバスもみんなボンネットバスです。
ちなみに駅ビルはこの絵葉書を発行した「福井ステーションビル」です。
福井市中心街 |
今の大名町交差点付近から駅を眺めた景色でしょうか。
上の福井駅前に停まっていたバスが走っています。
道路も広いですね。
わかりにくいですが、右上の方に路面電車が停まっているようにも見えます。
くまがい・こどもえん |
熊谷組HPの沿革によれば、熊谷組は昭和31年(1956年)5月「くまがいこどもえん」を福井市へ寄贈したとあります。
福井市郷土博物館 |
昭和27年(1952年)に福井復興博覧会の会場として設立・開館され、その後福井市郷土博物館となったそうです。平成に入り建物の増改修が行われたとあります。
福井市郷土歴史館 |
上水道記念館と配水池 |
現在、「福井市水道記念館」がありますが、これは大正13年(1924年)に建設された「足羽揚水ポンプ場」がその役目を終え、平成16年(2004年)に「福井市水道記念館」となったとあります。
この「上水道記念館」と同じものなのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。
本町通のこぶし並木 |
福井大仏観音 |
このお姿の観音様は昭和33年(1958年)に建立されました。
座像ですが台座を入れて約8mの高さだそうです。
足羽山やまぶき苑 |
足羽山つつじ苑 |
花の足羽山 |
11/23/2018
古絵葉書「水戸」常盤公園(偕楽園)・好文亭・常盤神社・弘道館
絵葉書シリーズ、今回は茨城県水戸。常盤公園(偕楽園)、好文亭、常盤神社、弘道館です。
茨城には30代後半、40代後半とあわせて6年ほど暮らしていましたので季節のイベントに合わせて何度か足を運びました。
通信面には「水戸川又書店発行」と書かれています。
川又書店は水戸駅前に店を構える老舗で私も水戸に行くたびに通ったものですが、日経新聞の記事によれば、2011年の震災後吸収合併されたようです。ただ、そのお名前は残っているようで、ホッとしました。
常盤公園(偕楽園)
偕楽園はご承知の通り、岡山の後楽園、金沢市の兼六園と並ぶ日本三名園の一つで、梅の名所として有名です。
Wikipediaによると、1842年(天保13年)、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により開園されたとあります。
そして、1873年(明治6年)太政官布達第16号で公園地の指定を受け「常磐公園」と命名されましたが、1932年(昭和7年)2月に「偕楽園」と旧称に戻されました。
今回紹介する絵葉書は、通信面のデザインから、大正7年~昭和7,8年頃の発行と思われますが、「偕楽園」ではなく「常盤公園」という名前が使われていますので、昭和7年以前に撮影されたものですね。
偕楽園や好文亭の現在の様子をご覧になるには茨城県公園サポーター「偕楽園 四季の会」さんが運営するHP「速報偕楽園」がお勧めです。
吐玉泉は当時と姿が変わってしまっていますね。ときどき井筒が取り替えられ現在は4代目とのことですが、この写真の当時は何代目だったのでしょうか?
好文亭
Wikipediaによると、好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された偕楽園内の施設ですが、1945年(昭和20年)空襲で焼失、1969年(昭和44年)落雷で再度焼失し、その都度復元されています。
また、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震でも被害を受けましたが翌2012年(平成24年)には全面復旧し、今に至っているとのことです。
上で紹介した「速報偕楽園」では四季折々の動画や好文亭の内部の「全天球360°映像」が楽しめます。空襲で焼失する前の写真と現在の様子を比べてみるのも興味深いものです。
常盤神社・弘道館
常盤神社は明治の初めに建立された徳川光圀、徳川斉昭を祀った神社です。
茨城には30代後半、40代後半とあわせて6年ほど暮らしていましたので季節のイベントに合わせて何度か足を運びました。
通信面には「水戸川又書店発行」と書かれています。
川又書店は水戸駅前に店を構える老舗で私も水戸に行くたびに通ったものですが、日経新聞の記事によれば、2011年の震災後吸収合併されたようです。ただ、そのお名前は残っているようで、ホッとしました。
常盤公園(偕楽園)
偕楽園はご承知の通り、岡山の後楽園、金沢市の兼六園と並ぶ日本三名園の一つで、梅の名所として有名です。
Wikipediaによると、1842年(天保13年)、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により開園されたとあります。
そして、1873年(明治6年)太政官布達第16号で公園地の指定を受け「常磐公園」と命名されましたが、1932年(昭和7年)2月に「偕楽園」と旧称に戻されました。
今回紹介する絵葉書は、通信面のデザインから、大正7年~昭和7,8年頃の発行と思われますが、「偕楽園」ではなく「常盤公園」という名前が使われていますので、昭和7年以前に撮影されたものですね。
偕楽園や好文亭の現在の様子をご覧になるには茨城県公園サポーター「偕楽園 四季の会」さんが運営するHP「速報偕楽園」がお勧めです。
吐玉泉は当時と姿が変わってしまっていますね。ときどき井筒が取り替えられ現在は4代目とのことですが、この写真の当時は何代目だったのでしょうか?
(水戸名所)常盤公園梅林満開 |
(水戸名所)常盤公園吐玉泉 |
Wikipediaによると、好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された偕楽園内の施設ですが、1945年(昭和20年)空襲で焼失、1969年(昭和44年)落雷で再度焼失し、その都度復元されています。
また、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震でも被害を受けましたが翌2012年(平成24年)には全面復旧し、今に至っているとのことです。
上で紹介した「速報偕楽園」では四季折々の動画や好文亭の内部の「全天球360°映像」が楽しめます。空襲で焼失する前の写真と現在の様子を比べてみるのも興味深いものです。
「水戸名所」常盤公園好文亭 |
(水戸名所)常盤公園好文亭玄関 |
好文亭内 梅ノ間 |
好文亭内 松ノ間 |
好文亭内 何陋庵茶室待合 |
好文亭内烈公何陋庵茶室 |
好文亭内何陋庵茶室庭 |
好文亭内 西榭 |
好文亭内烈公御居間 |
好文亭内 東榭 |
好文亭内 楽壽楼 |
好文亭内楽壽楼昇降機 |
常盤神社は明治の初めに建立された徳川光圀、徳川斉昭を祀った神社です。
この写真の社殿は残念ながら空襲で焼失してしまったようです。
弘道館は、徳川斉昭により作られた藩校です。
11/18/2018
昭和19年「海軍志願兵」
昭和19年9月発行の「海軍志願兵」という本です。
「海軍省当局、横須賀海軍人事部指導監修」となっていますが、軍や政府が発行したものではなく、個人が情報を集め編集した「海軍入隊手引き」といったものです。
当時の日本や国際情勢が厳しい状況であったことは十分理解しているものの、自分の息子を軍に入隊させることは想像するだけでも辛いです。
当時の私たちのご先祖様の苦労を考えると心が痛みます。
Wikipediaによると、編者の片柳忠男は「日本の宣伝家、プロデューサー、画家、伝記作家」で「戦時中は大東亜宣伝連盟常務理事、海軍嘱託」とあります。
また、発行者の北原鉄雄は「出版人。写真や文学を専門とする出版社、アルスを設立し、代表を務めた。北原白秋の弟(三男)にあたる。」とあります。
ところどころ抜粋して紹介します。
「海軍省当局、横須賀海軍人事部指導監修」となっていますが、軍や政府が発行したものではなく、個人が情報を集め編集した「海軍入隊手引き」といったものです。
国民の総力、青少年諸君のはりきりった力の結集が、敵の抱く野望を打ち砕く結果となる。海の戦闘員を充実することこそ現下の急務。ということで、海軍の生活から各兵種の役割などを漫画なども交えて解説し、海軍の魅力を青少年に伝えるとともに、また、彼らの両親に子供の入隊を促すような内容となっています。
当時の日本や国際情勢が厳しい状況であったことは十分理解しているものの、自分の息子を軍に入隊させることは想像するだけでも辛いです。
当時の私たちのご先祖様の苦労を考えると心が痛みます。
Wikipediaによると、編者の片柳忠男は「日本の宣伝家、プロデューサー、画家、伝記作家」で「戦時中は大東亜宣伝連盟常務理事、海軍嘱託」とあります。
また、発行者の北原鉄雄は「出版人。写真や文学を専門とする出版社、アルスを設立し、代表を務めた。北原白秋の弟(三男)にあたる。」とあります。
ところどころ抜粋して紹介します。
表紙 |
裏表紙 |
「推奨の辞」 |
「発刊の辞」 |
志願する兵種の選び方について |
海軍志願兵進路指導概要 |
海軍志願兵徴募ポスター |
「編者の言葉」、奥付 |
11/11/2018
絵葉書「外房名勝」
久しぶりに絵葉書です。
「外房名勝」というタイトルの「高級原色版八枚組」です。
袋の裏には「館山市 松田屋書店発行」とあります。
詳しい年代はわかりませんが、ハガキの通信面上部の「郵便はがき」が左から書かれているので終戦後の発行です。
袋の裏には「館山市 松田屋書店発行」とあります。
詳しい年代はわかりませんが、ハガキの通信面上部の「郵便はがき」が左から書かれているので終戦後の発行です。
【東篠村・鏡忍寺山門】
右上は祖師堂ですが、平成20年に243年ぶり再建されたとありますので、この写真の建物はその前のものですね。
【太海・仁右衛門島の遠望】
今も自然を楽しめる観光スポットのようです。
多少波で浸食されてしまったのか、あるいは撮影時の干満の違いなのか、当時の方が陸地部分が多いように見えます。手前の民家はすっかり景色が変わっています。海女さんは今でもいるのでしょうか?
多少波で浸食されてしまったのか、あるいは撮影時の干満の違いなのか、当時の方が陸地部分が多いように見えます。手前の民家はすっかり景色が変わっています。海女さんは今でもいるのでしょうか?
【興津・おせんころがしの奇勝】
ネットで最近の写真を見ると、今でも手前の白い石塔はあるようです。
【小湊・誕生寺】【小湊・水族館】
誕生寺のHPによると、これは祖師堂で弘化3年(1846年)建立のものとあります。境内には今よりもたくさん松があったようですね。円形のモダンな水族館は、現在は建替えられて、千葉大学海洋バイオシステム研究センターこみなと水族館として一般公開されているようです。
【天津・清澄山、清澄寺の全景】
奥に本堂が見えます。清澄寺のHPによると過去に改修が繰り返され現在の姿は17世紀後半のものとされています。手前の大きな杉は「千年杉」でしょうか。樹齢800年といわれているそうですが、昭和29年の台風で左側の杉が倒れてしまったそうです。(ということはこの絵葉書は終戦後~昭和29年に撮影されたものですね。)
【鴨川松島の風光】
「鴨川松島」でネット検索すると今でもほとんど同じ景色が見られますね。
【妙の浦(鯛の浦)】
絵葉書には「世界的天然記念物 鯛の郡棲地」とありますが、今でもたくさん集まってくるそうです。
海に浮かぶ二つの島のうち手前の島の町歩に立派な松がありますが、残念ながら最近の写真には写っていませんね。
【白浜灯台】
Wikipediaによれば、正式には野島崎灯台というのですね。
1870年、日本の洋式灯台では2番目に初点灯したという由緒ある灯台です。関東大震災、戦時中の攻撃で損傷し、1946年に今の姿に復旧したとあります。
しかし、ネット上の今の写真と比べると微妙に違うような…。
手書きで修正が入っているかも。
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