11/23/2018

古絵葉書「水戸」常盤公園(偕楽園)・好文亭・常盤神社・弘道館

絵葉書シリーズ、今回は茨城県水戸。常盤公園(偕楽園)、好文亭、常盤神社、弘道館です。
茨城には30代後半、40代後半とあわせて6年ほど暮らしていましたので季節のイベントに合わせて何度か足を運びました。

通信面には「水戸川又書店発行」と書かれています。
川又書店は水戸駅前に店を構える老舗で私も水戸に行くたびに通ったものですが、日経新聞の記事によれば、2011年の震災後吸収合併されたようです。ただ、そのお名前は残っているようで、ホッとしました。

常盤公園(偕楽園)
偕楽園はご承知の通り、岡山の後楽園、金沢市の兼六園と並ぶ日本三名園の一つで、梅の名所として有名です。
Wikipediaによると、1842年(天保13年)、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により開園されたとあります。
そして、1873年(明治6年)太政官布達第16号で公園地の指定を受け「常磐公園」と命名されましたが、1932年(昭和7年)2月に「偕楽園」と旧称に戻されました。
今回紹介する絵葉書は、通信面のデザインから、大正7年~昭和7,8年頃の発行と思われますが、「偕楽園」ではなく「常盤公園」という名前が使われていますので、昭和7年以前に撮影されたものですね。
偕楽園や好文亭の現在の様子をご覧になるには茨城県公園サポーター「偕楽園 四季の会」さんが運営するHP「速報偕楽園」がお勧めです。
吐玉泉は当時と姿が変わってしまっていますね。ときどき井筒が取り替えられ現在は4代目とのことですが、この写真の当時は何代目だったのでしょうか?
(水戸名所)常盤公園梅林満開
(水戸名所)常盤公園吐玉泉
好文亭
Wikipediaによると、好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された偕楽園内の施設ですが、1945年(昭和20年)空襲で焼失、1969年(昭和44年)落雷で再度焼失し、その都度復元されています。
また、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震でも被害を受けましたが翌2012年(平成24年)には全面復旧し、今に至っているとのことです。
上で紹介した「速報偕楽園」では四季折々の動画や好文亭の内部の「全天球360°映像」が楽しめます。空襲で焼失する前の写真と現在の様子を比べてみるのも興味深いものです。
「水戸名所」常盤公園好文亭
(水戸名所)常盤公園好文亭玄関
好文亭内 梅ノ間
好文亭内 松ノ間
好文亭内 何陋庵茶室待合
好文亭内烈公何陋庵茶室
好文亭内何陋庵茶室庭
好文亭内 西榭
好文亭内烈公御居間
好文亭内 東榭
好文亭内 楽壽楼
好文亭内楽壽楼昇降機
常盤神社・弘道館
常盤神社は明治の初めに建立された徳川光圀、徳川斉昭を祀った神社です。
この写真の社殿は残念ながら空襲で焼失してしまったようです。
弘道館は、徳川斉昭により作られた藩校です。
ネットで見られる最近の写真と比べて建物はあまり違いが感じられませんが、玄関前の木の枝ぶりは随分異なっているように見えます。植え替えられたのかもしれませんね。
(水戸名所)常盤神社
(水戸名所)弘道館玄関



















0 件のコメント:

コメントを投稿