8/11/2016

絵葉書 奈良県吉野山

日本有数の名所、奈良県吉野山。
絵葉書が3つ出てきました。
ちょっとレトロ調ですが、いずれも「郵便はがき」の文字が左から書かれているので、戦後のものです。
古いと思われる順にケース(カバー)を紹介するとこんな感じです。



いくつか同じ題材のものがありますので、並べて紹介します。

●金峯山寺 蔵王堂



●如意輪寺 如意輪堂



●吉野山 中千本の桜



古い絵葉書は、彩色していて非常に鮮やかですが、ちょっと実物とは違った印象を与えてしまいますね。
如意輪寺の絵葉書を比べて見ると、大きかった木が無くなってしまったり、小さかった木がずいぶん育っていたりするのがわかります。

8/07/2016

京浜東北・山手線(田町→田端間)複々線開通記念乗車券(1956/11/19)

昭和31年11月19日の京浜東北・山手線(田町→田端間)複々線開通を記念した、神田駅から10円区間有効の記念乗車券です。



裏側には、通し番号が押されています。



これまでは、京浜東北線と山手線が田町~田端間を同一線路を走っていて、ラッシュ時間帯も3分40秒間隔が限度だったのが、複々線化により2分40秒間隔が可能となり、1時間16本の運転本数が24本に増やせるようになったと書いてあります。

8/01/2016

長崎銀嶺、梅美津、ボン・ソアール

長崎には仕事の出張で2,3日行ったことがあるだけで、観光では行ったことがありませんが、こんなチラシが出てきました。
細長い紙の両面に印刷されていて、名刺サイズに4つに畳まれています。



はっきりとした年はわかりませんが、昭和30年代の中頃、父の弟が独身で長崎に赴任し、そちらで結婚しましたので、その頃のものだと思います。
銀嶺、梅美津、ボン・ソアールは姉妹店だそうで、それぞれレストラン、料亭、バーのようです。






Googleで銀嶺を検索してみると、レストラン銀嶺の代表社員の方へのインタビューが掲載されているHPがヒットしました。
「レストラン銀嶺」は、1930(昭和5年)に鍛治屋町に創業し、その隣で1953年(昭和28)にバー"ボン・ソワール"をオープンしました。この店には、日本を代表する作家や俳優、芸術家たちが訪れました。ある時は恋人とお忍びで、またある時は、仲間を連れて料理やお酒を楽しみながら長崎の旅を楽しまれたようです。また、長崎の財界人からも親しまれ、長崎の夜にムードを添えていました。今回は、当時の古き良き時代を知る「レストラン銀嶺」の橋本京子さんにインタビューしました。

もう一つ、レストラン銀嶺のコーヒーの楽しみ方が書いたチラシもありました。


きっとおいしかったんでしょうね。

チラシと一緒に長崎国際文化会館の入場券の半券が出てきました。



長崎訪問に合わせて、文化会館内の原爆資料室を見学に行ったのでしょう。
半券の裏側には説明書きがあり、
昭和28年8月9日公布された長崎国際文化都市建設法に基づき、建設事業の記念施設の一環として、浦上の原子野に昭和26年に着工、約4ヶ年の歳月と壱億六千八百余万円の経費をかけて昭和30年2月に竣工をみたものであります。
とあります。
しかし、平成8年、老朽化と被爆50周年を記念して、現在の長崎原爆資料館に建て替えられているそうです。

7/31/2016

東芝自動式電気釜 取扱説明書(昭和30年代)

先日の「新日本電気(NEC)家庭電化品カタログ」に引き続き、昭和30年代の電化製品の紹介です。
東芝 自動式電気釜RC-10K型(1.8リットル炊600W)の取扱説明書です。



両親が結婚したが昭和34年でしたので、その頃購入したのでしょう。
子供の頃、母がこの電気釜からご飯をよそう姿がくっきりと記憶に残っています。
東芝のHPを見ると、自動式電気釜を日本で最初に開発したのは東芝だそうです(昭和30年にER-4型として発売)。

「4年後には日本の全家庭の約半数にまで普及し、総生産台数も1,235万台を記録した。」とあるので、ちょうどかなり世の中に普及してきた頃に買ったのでしょう。

ちょっとびっくりしたのが、Googleで「東芝自動式電気釜 RC-10K」で検索したところ、この電気釜を修理したという方のブログがヒットしました。
「テレビドラマ用にテレビを4台修理の為にお預かりした際一緒にお預かりしたのが今回の東芝の電気釜」とありまして、ピカピカのRC-10Kが写っていました。

約60年前の家電製品が、テレビドラマ用とはいえ、現物が残っているとは、なんだかうれしくなりました。

ちなみに、その方のブログには、配線の修理のために電気釜の底のカバーを取り外した写真がアップされていましたが、そこにはちょうど炊きあがりの調整するツマミがついているようで、取説にも同じような写真が掲載されていました。



自動式電気釜ができるまでは、かまどの火の加減を見ながら炊きあがるまでずっとそばについていなければならず、母や祖母は、家族が起きるよりもかなり早く起きてご飯の準備をしていました。
しかし、自動式電気釜が我が家にやって来たことで、その苦労が大幅に削減されたことでしょう。
この取説にも、そのメリットがしっかりと書かれていました。



私のブログでも何度か書きましたが、両親、祖母の時代に比べて、私たちはなんと便利な時代に生まれてきたのだろうと思います。感謝です。

7/25/2016

昭和36年 新日本電気(NEC)家庭電化品カタログ

新日本電気(New Nippon Electric Company Ltd.)発行の「NEC 家庭電化品」のカタログです。
文字が切れていますが、一番下に「36-3-1」と書かれているので、おそらく昭和36年発行のカタログでしょう。
私が1歳になったばかりの頃です。



表紙を開くと、「愛の労働にかわるもの」とあります。


全文を紹介します。
主婦の労働には報酬がありません  したがって国民所得の中にも換算されていないのです  世界中の主婦は報酬もなく黙々と働いてきました  そして今もそれは変りがないのです  主婦はただ純粋に夫の栄光と子供の成長をみまもってきたのでした
しかし時代は伸展しました  主婦の労働の内容はおなじでも消耗されるエネルギーは激減したのです  電気エネルギーさらにはエレクトロニクスが家庭生活の合理化のために驚異的な飛躍を遂げたからです
以下に掲げるNEC家庭電化品もそんな家庭合理化路線の上にのった製品です  ぜひご愛用ください

戦後十数年、まさに世の中はこういう状況だったんでしょう。
「電化」を目指して国民みんなが頑張っていた時期だったと思います。
今の生活環境の素晴らしさを本当に感謝したいと思います。
我が家にも、こういう製品が一つずつ増えていったこと、その時の両親のうれしそうな顔がおぼろげながら記憶に残っています。

●トランジスタラジオ

まさにトランジスタの時代だったのですね。
私が物心ついたころは、真空管ラジオだったです。

●テレビ受像機

4本脚の白黒テレビでした。
ブラウン管から出る電磁波が体に良くないからと言って、画面の前にブルーの重たいガラスのフィルターのようなものをつけていたような気がします。

●カラーテレビ受像機

昭和36年にすでにカラーテレビが販売されていたんですね。
当時の価格で50万円を超えています。
これは庶民には買えませんね。
ちなみに我が家にカラーテレビが来たのは、中学2,3年の頃、昭和49年~50年頃だったような気がします。

●ステレオサウンドビジョン

我が家にステレオが入ったのは私が高校生の頃だったような気がします。
それまでは、レコードはモノラルのポータブルプレーヤーでした。
(ハンドルがついた手回しの蓄音機もありました。)

●テープレコーダー

我が家に録音機器が来たのは、私が中学生の時、英語の勉強のためといってカセットテープレコーダーを買ってもらった時だと思います。
既に他界した祖母にマイクを向けて、「いやだよ、はずかしいよ。」という祖母の声が入ったテープも、その後重ね録りしてしまい、今はありません。
しかし、私の心にはしっかりと記録されています。

●真空管

さすがに真空管はもう製造していないのでしょうね。
ちょうどトランジスタに世代が変わり始める時期だったのだと思います。

●電気暖房器具

電気あんかですね。
我が家にもありましたが、子供は湯たんぽでしたね。
風邪を引いたりすると、母が布団の中に入れてくれたような気がします。

●自動電気釜

今の炊飯器と違い、どのメーカも白でした。
容量が「リットル」単位で記載されているのがちょっと驚きです。
当時どころか今でも炊飯器の目盛は「合」単位で振られているのに!

●電気冷蔵庫

この頃は1ドアタイプでした。
右のページのように、ドアを開くペダルがついていたような気がします。

●電気掃除機と電気洗濯機

掃除機は、基本的に形状はあまり変わっていないような気がしますが、洗濯機はかなり変わりましたね。 ハンドルをグルグル回して、ペッタンコになった洗濯物がかごに出てくるのが懐かしいです。

そして、カタログには工場での製造の状況が紹介されています。
「オートメーションによる量産化」という言葉が、当時を物語っていますね。

7/24/2016

絵はがき JAPAN TEA

年代はよくわかりません。
日本を訪れた外国の観光客向けの絵はがきで、日本茶の紹介用の絵はがきだと思います。
タイトルは "JAPAN TEA" で5枚組です。

絵はがきの包み紙の裏表紙に世界地図が描かれていますが、"PRINCIPAL CONSUMER-COUNTRIES OF JAPAN TEAS" (日本茶の主な消費国)として"OKINAWA"(沖縄)と書かれているので、沖縄返還前に発行されたものでしょう。



日本の本州の脇には、"SHIMIZU"と書かれています。
ということは、静岡県清水市のお茶の紹介なんですね。

中の写真は、写真に着色したものなのか、写真ではなく絵なのか、よくわかりませんが、非常にレトロな印象が漂っています。



●Mother is serving tea to her children


●Japanese tea set and tea blossom


●Tea ceremony


●Tea plucking doll



そして、日本茶の効能が包み紙の裏側に書かれています。


日本茶は最もすっきりして衛生的な飲料、日本茶を飲んでいつまでも若く長生きしましょう!

7/10/2016

絵はがき 勝山勝景

観光の内房 勝山勝景絵葉書 (房州勝山町 板倉写真館発行)



一応、カバーが残っていますが、中は1枚のみ。
高台からの市街地の眺望です。


Google Mapを見ると、大黒山展望台という展望台があります。
撮影された当時に展望台があったかどうかわかりませんが、景色の良い場所だったことは今も昔も変わらないでしょう。

しかし、この写真のように海の向こうに陸地が見えるところというとどのあたりなんでしょうか?
Google Mapをさらにじっくり見ていると、大黒山展望台からの景色を写した写真がありました。
ちょうど「展望案内図」も写っていますが、そこに書かれている右上の陸地(たぶん房総半島の勝浦から少し北の所)と稜線が絵葉書とよく似ています。(もちろん写真そのものもそっくりですが)
今度、展望台に行ってみたいですね。

ところで、この絵葉書の発行された時期というと、宛名面の上部が右から「郵便はがき」と濁点付きの「はがき」となっていることから、昭和8年から終戦までの間と推定されます。

ネット検索すると、絵葉書を撮影、発行した板倉写真館は今でも営業を続けられているようです。
もう、2代、3代目の方に引き継がれてるのでしょうか。
素晴らしいですね。