細長い紙の両面に印刷されていて、名刺サイズに4つに畳まれています。
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はっきりとした年はわかりませんが、昭和30年代の中頃、父の弟が独身で長崎に赴任し、そちらで結婚しましたので、その頃のものだと思います。
銀嶺、梅美津、ボン・ソアールは姉妹店だそうで、それぞれレストラン、料亭、バーのようです。
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Googleで銀嶺を検索してみると、レストラン銀嶺の代表社員の方へのインタビューが掲載されているHPがヒットしました。
「レストラン銀嶺」は、1930(昭和5年)に鍛治屋町に創業し、その隣で1953年(昭和28)にバー"ボン・ソワール"をオープンしました。この店には、日本を代表する作家や俳優、芸術家たちが訪れました。ある時は恋人とお忍びで、またある時は、仲間を連れて料理やお酒を楽しみながら長崎の旅を楽しまれたようです。また、長崎の財界人からも親しまれ、長崎の夜にムードを添えていました。今回は、当時の古き良き時代を知る「レストラン銀嶺」の橋本京子さんにインタビューしました。
もう一つ、レストラン銀嶺のコーヒーの楽しみ方が書いたチラシもありました。
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きっとおいしかったんでしょうね。
チラシと一緒に長崎国際文化会館の入場券の半券が出てきました。
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長崎訪問に合わせて、文化会館内の原爆資料室を見学に行ったのでしょう。
半券の裏側には説明書きがあり、
昭和28年8月9日公布された長崎国際文化都市建設法に基づき、建設事業の記念施設の一環として、浦上の原子野に昭和26年に着工、約4ヶ年の歳月と壱億六千八百余万円の経費をかけて昭和30年2月に竣工をみたものであります。とあります。
しかし、平成8年、老朽化と被爆50周年を記念して、現在の長崎原爆資料館に建て替えられているそうです。
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