新日本電気(New Nippon Electric Company Ltd.)発行の「NEC 家庭電化品」のカタログです。
文字が切れていますが、一番下に「36-3-1」と書かれているので、おそらく昭和36年発行のカタログでしょう。
私が1歳になったばかりの頃です。
表紙を開くと、「愛の労働にかわるもの」とあります。
全文を紹介します。
主婦の労働には報酬がありません したがって国民所得の中にも換算されていないのです 世界中の主婦は報酬もなく黙々と働いてきました そして今もそれは変りがないのです 主婦はただ純粋に夫の栄光と子供の成長をみまもってきたのでした
しかし時代は伸展しました 主婦の労働の内容はおなじでも消耗されるエネルギーは激減したのです 電気エネルギーさらにはエレクトロニクスが家庭生活の合理化のために驚異的な飛躍を遂げたからです
以下に掲げるNEC家庭電化品もそんな家庭合理化路線の上にのった製品です ぜひご愛用ください
戦後十数年、まさに世の中はこういう状況だったんでしょう。
「電化」を目指して国民みんなが頑張っていた時期だったと思います。
今の生活環境の素晴らしさを本当に感謝したいと思います。
我が家にも、こういう製品が一つずつ増えていったこと、その時の両親のうれしそうな顔がおぼろげながら記憶に残っています。
●トランジスタラジオ
まさにトランジスタの時代だったのですね。
私が物心ついたころは、真空管ラジオだったです。
●テレビ受像機
4本脚の白黒テレビでした。
ブラウン管から出る電磁波が体に良くないからと言って、画面の前にブルーの重たいガラスのフィルターのようなものをつけていたような気がします。
●カラーテレビ受像機
昭和36年にすでにカラーテレビが販売されていたんですね。
当時の価格で50万円を超えています。
これは庶民には買えませんね。
ちなみに我が家にカラーテレビが来たのは、中学2,3年の頃、昭和49年~50年頃だったような気がします。
●ステレオサウンドビジョン
我が家にステレオが入ったのは私が高校生の頃だったような気がします。
それまでは、レコードはモノラルのポータブルプレーヤーでした。
(ハンドルがついた手回しの蓄音機もありました。)
●テープレコーダー
我が家に録音機器が来たのは、私が中学生の時、英語の勉強のためといってカセットテープレコーダーを買ってもらった時だと思います。
既に他界した祖母にマイクを向けて、「いやだよ、はずかしいよ。」という祖母の声が入ったテープも、その後重ね録りしてしまい、今はありません。
しかし、私の心にはしっかりと記録されています。
●真空管
さすがに真空管はもう製造していないのでしょうね。
ちょうどトランジスタに世代が変わり始める時期だったのだと思います。
●電気暖房器具
電気あんかですね。
我が家にもありましたが、子供は湯たんぽでしたね。
風邪を引いたりすると、母が布団の中に入れてくれたような気がします。
●自動電気釜
今の炊飯器と違い、どのメーカも白でした。
容量が「リットル」単位で記載されているのがちょっと驚きです。
当時どころか今でも炊飯器の目盛は「合」単位で振られているのに!
●電気冷蔵庫
この頃は1ドアタイプでした。
右のページのように、ドアを開くペダルがついていたような気がします。
●電気掃除機と電気洗濯機
掃除機は、基本的に形状はあまり変わっていないような気がしますが、洗濯機はかなり変わりましたね。
ハンドルをグルグル回して、ペッタンコになった洗濯物がかごに出てくるのが懐かしいです。
そして、カタログには工場での製造の状況が紹介されています。
「オートメーションによる量産化」という言葉が、当時を物語っていますね。