11/25/2012
11/24/2012
アンティーク絵葉書 「箱根」
今日は,箱根の絵葉書です。
もう11月の下旬ですので,箱根駅伝も1ヶ月ちょっとですね。寒いはずです。
全部で7枚ありました。とりあえず,タイトルだけ紹介しますと,
①相州箱根 宮ノ下全景
②相州箱根 長尾峠の富士
③相州箱根 塔の澤鐵橋
④相州箱根 宮城野の渓流
⑤相州箱根 木賀の渓流
⑥相州箱根 玉簾の瀧
⑦相州箱根 湯本の瀧
まあ,だいたいが今でも観光名所として残っています。いつものように何枚かご覧いただきたいと思います。
①相州箱根 宮ノ下全景:これは雪景色でしょうか?白黒写真なのでよくわかりません。
②相州箱根 長尾峠の富士:どうも富士山が怪しくないですか?いかにも後から描いたような…
③相州箱根 塔の澤鐵橋:箱根登山鉄道に今でも残っている早川橋梁(出山の鉄橋)のことだと思いますが,そうだとすれば大正6年(1917年)完成の鉄橋です。
紅葉のシーズン,箱根は11月のこの3連休かなりの人出だったんでしょうね。たまには温泉にでも行きたい…
もう11月の下旬ですので,箱根駅伝も1ヶ月ちょっとですね。寒いはずです。
全部で7枚ありました。とりあえず,タイトルだけ紹介しますと,
①相州箱根 宮ノ下全景
②相州箱根 長尾峠の富士
③相州箱根 塔の澤鐵橋
④相州箱根 宮城野の渓流
⑤相州箱根 木賀の渓流
⑥相州箱根 玉簾の瀧
⑦相州箱根 湯本の瀧
まあ,だいたいが今でも観光名所として残っています。いつものように何枚かご覧いただきたいと思います。
①相州箱根 宮ノ下全景:これは雪景色でしょうか?白黒写真なのでよくわかりません。
②相州箱根 長尾峠の富士:どうも富士山が怪しくないですか?いかにも後から描いたような…
③相州箱根 塔の澤鐵橋:箱根登山鉄道に今でも残っている早川橋梁(出山の鉄橋)のことだと思いますが,そうだとすれば大正6年(1917年)完成の鉄橋です。
紅葉のシーズン,箱根は11月のこの3連休かなりの人出だったんでしょうね。たまには温泉にでも行きたい…
11/23/2012
アンティーク絵葉書 「運動会」
今回紹介するのは,運動会です。
なんで運動会が絵葉書になるのか,なかなか理解が難しいところです。
以前このブログで台風の被害の状況を写した絵葉書を紹介した時にも書きましたが,テレビが普及していなかった時代なので,絵葉書が情報伝達ツールとして用いられていたのかもしれません。
さて,いつものように写真をルーペでじっくり見てみると,右側の柱に「淺野造船所工友會」,左側の柱に「第一回陸上運動會」と書いてあるようです。
淺野造船所ってどこにあるの?さっそくネットで調べてみると,
ということで,大正5年12月に創立した会社なんですね。その第1回運動会ですから,その翌年暖かくなってから開催された運動会でしょうか? 場所は,JR鶴見線の浅野駅付近なのかなあ?
それでは,運動会の様子を何枚かご紹介します。造船所で働いている方たちだと思いますが,みんな一生懸命にやってます。
これは,大きな下駄を履いて競争してますね。選手も,鉢巻き姿だったり帽子をかぶっていたりで,なかなか楽しそうです。
これは,提灯を持って走っていますね。先頭の選手はぶれていますがかなりスピード感が出ています。
これは,仮装行列ですかね?左の方に大きな鶴を頭に載せている人がいます。
この他にも何枚かありますが,今で言う障害物競走ばかりで,かなり娯楽的な要素が強かったように思えます。
浅野造船所は,今は「ユニバーサル造船京浜事業所に集約された」とWikipediaにありましたが,もし関係者の方がこのブログをご覧になり,これらの運動会についてご存知でしたらお教えいただけるとありがたいです。
なんで運動会が絵葉書になるのか,なかなか理解が難しいところです。
以前このブログで台風の被害の状況を写した絵葉書を紹介した時にも書きましたが,テレビが普及していなかった時代なので,絵葉書が情報伝達ツールとして用いられていたのかもしれません。
さて,いつものように写真をルーペでじっくり見てみると,右側の柱に「淺野造船所工友會」,左側の柱に「第一回陸上運動會」と書いてあるようです。
淺野造船所ってどこにあるの?さっそくネットで調べてみると,
浅野造船所(あさのぞうせんじょ)は、かつて横浜市にあった民間造船所。1995年に浅野ドックは閉鎖され、工場はユニバーサル造船京浜事業所に集約された。
1916年(大正5年)4月 -(株)横浜造船所創立
同年7月 - 造船所建設着手
同年12月 - (株)浅野造船所に改称
(Wikipedia)
ということで,大正5年12月に創立した会社なんですね。その第1回運動会ですから,その翌年暖かくなってから開催された運動会でしょうか? 場所は,JR鶴見線の浅野駅付近なのかなあ?
それでは,運動会の様子を何枚かご紹介します。造船所で働いている方たちだと思いますが,みんな一生懸命にやってます。
これは,大きな下駄を履いて競争してますね。選手も,鉢巻き姿だったり帽子をかぶっていたりで,なかなか楽しそうです。
これは,提灯を持って走っていますね。先頭の選手はぶれていますがかなりスピード感が出ています。
これは,仮装行列ですかね?左の方に大きな鶴を頭に載せている人がいます。
この他にも何枚かありますが,今で言う障害物競走ばかりで,かなり娯楽的な要素が強かったように思えます。
浅野造船所は,今は「ユニバーサル造船京浜事業所に集約された」とWikipediaにありましたが,もし関係者の方がこのブログをご覧になり,これらの運動会についてご存知でしたらお教えいただけるとありがたいです。
11/15/2012
今日がちょうど100年目「大正元年陸軍特別大演習」
今日は,絵葉書に記念のスタンプが押されているのを紹介します。
スタンプの下半分には「川越 大正元年十一月十五日」と書いてありますね。
大正元年は1912年ですので,ちょうど100年前,しかも11月15日って今日ではないですか!!
上半分は,ちょっと読みにくいけど,「大正元年陸軍特別大演習記念」と読めますね。
びっくりしましたね。ちょうど100年ですよ。
なんでこんな絵葉書が物置に眠っていたのかもわからないのに。
わたしの祖父,それとも曽祖父が演習を見物に行ったのか?
のちのち,誰かが絵葉書を購入しただけなのか?
昭和生まれの父もすでに他界しているので,もうわかりません。
大正元年陸軍特別大演習は大正元年(1912)11月15~19日の4日間、関東地方で実施されたそうです。
川越に本営が設置され,大正天皇は県立川越中学校(現在の川越高校)に宿泊されたそうです。
演習は,首都占領を目指す北軍に対し南軍がそれを防衛するという設定で行われたようです。
それでは,写真のリストと,その中から何枚かを紹介します。
①御親閲 大觀兵式 御出門
②北軍司令官大將子爵大島久直
参謀総長大將子爵長谷川好道
南軍司令官大將子爵大島義昌
③北軍師團長長岡中將
北軍師團長山田中將
南軍師團長閑院中將宮殿下
南軍師團長木越中將
④騎兵斥候の難路通過 前衛の渡河
⑤軍橋渡河の密集隊 拂曉の展望
⑥騎兵團の襲撃
⑦機關銃隊の奮闘 突撃前の急射撃
⑧砲兵の猛撃 パ式の索敵飛行
次の写真はやはり大演習関連の記念はがきですが,スタンプが違います。
上段に「特別大演習記念」,中段に「埼玉県」,下段に「大正元年十一月」と書かれています。
ハガキの裏には「埼玉県発行」「東京ともゑ商会謹製」とあります。
「行在所(あんざいしょ)」とは,天皇が外出したときの仮の御所のことで,現在の川越高校です。
100年の時を超えた偶然の出会いに感動を覚えながら,今日はベッドに入ることにします。
おやすみなさい
スタンプの下半分には「川越 大正元年十一月十五日」と書いてありますね。
大正元年は1912年ですので,ちょうど100年前,しかも11月15日って今日ではないですか!!
上半分は,ちょっと読みにくいけど,「大正元年陸軍特別大演習記念」と読めますね。
びっくりしましたね。ちょうど100年ですよ。
なんでこんな絵葉書が物置に眠っていたのかもわからないのに。
わたしの祖父,それとも曽祖父が演習を見物に行ったのか?
のちのち,誰かが絵葉書を購入しただけなのか?
昭和生まれの父もすでに他界しているので,もうわかりません。
大正元年陸軍特別大演習は大正元年(1912)11月15~19日の4日間、関東地方で実施されたそうです。
川越に本営が設置され,大正天皇は県立川越中学校(現在の川越高校)に宿泊されたそうです。
演習は,首都占領を目指す北軍に対し南軍がそれを防衛するという設定で行われたようです。
それでは,写真のリストと,その中から何枚かを紹介します。
①御親閲 大觀兵式 御出門
②北軍司令官大將子爵大島久直
参謀総長大將子爵長谷川好道
南軍司令官大將子爵大島義昌
③北軍師團長長岡中將
北軍師團長山田中將
南軍師團長閑院中將宮殿下
南軍師團長木越中將
④騎兵斥候の難路通過 前衛の渡河
⑤軍橋渡河の密集隊 拂曉の展望
⑥騎兵團の襲撃
⑦機關銃隊の奮闘 突撃前の急射撃
⑧砲兵の猛撃 パ式の索敵飛行
次の写真はやはり大演習関連の記念はがきですが,スタンプが違います。
上段に「特別大演習記念」,中段に「埼玉県」,下段に「大正元年十一月」と書かれています。
ハガキの裏には「埼玉県発行」「東京ともゑ商会謹製」とあります。
「行在所(あんざいしょ)」とは,天皇が外出したときの仮の御所のことで,現在の川越高校です。
100年の時を超えた偶然の出会いに感動を覚えながら,今日はベッドに入ることにします。
おやすみなさい
11/10/2012
アンティーク絵葉書 「大磯」
古絵葉書の整理は一休みと思っていたのですが,とにかくスキャニングだけしてしまおうと思い,土曜日の午後,せっかくのお天気ですが薄汚れたハガキをスキャナーに通しています。
スキャナーの内部が埃で汚れちゃうかな,とちょっと心配です。
(スキャナーはCanon DR-2510Cを使っています。)
スキャニングしたついでに何枚かご紹介。
今日は神奈川県大磯です。
①大磯名所 權現臺 安田善次郎氏石像
安田財閥創始者である安田善次郎氏の旧別邸にある氏の大理石座像で,大正5年(1916)に百三十銀行から送られたとのことです。石像の上部には「祥致」と彫られています。
②大磯名所 天王臺小千疊敷頂上
③大磯風景 千疊敷頂上ヨリ富士ヲ望ム
②と③は同じ所なんでしょうか?どちらの写真にも四阿(あずまや)が写っていますが,形が違いますよね?同じ場所の四阿を建て替えたのか,それとも別物なのか?どなたかご存知のかたがいらっしゃいませんか?
ちょっと面白いのが次の写真です。
④大磯風景 千疊敷頂上全景
頂上(と言ってもTOPがどこだかわかりにくいですが)に上の②と③の四阿らしきものが見えませんか?
ちょっと大きすぎ?これだけ遠くに写っていてあの大きさだと大型のリゾートホテルなみの大きさのように思えます。
拡大鏡で見てみると,どうやら手書きで書き込んであるみたいです。
⑤大磯風景 千疊敷十千亭
ここはとても景色がよさそうです。方向がどちら向きかわかりませんが,富士山もよく見えたのかもしれません。
⑥大磯名所 虎御石境内
『曽我物語』の虎御前縁の石「虎御石」は,曽我十郎の仇討ちの相手工藤祐経の刺客から十郎を守った石だそうです! この石は今でも延台寺に奉安されています。
写真は寺の山門のようですが,左側に曽我兄弟の碑が建てられています。これは木製のように見えますが,インターネットで最近の状況を見ますと,現在は石碑になっているようです。
山門自体も以前はずいぶんシンプルで,お寺というよりは普通の民家のように見えます。
⑦大磯八景 花水川の夕照
夕照とあるので,カラーだったらよかったのに,と思いますが,しかたありませんね。想像力を働かせて昔の美しい景色を楽しみましょう。
スキャナーの内部が埃で汚れちゃうかな,とちょっと心配です。
(スキャナーはCanon DR-2510Cを使っています。)
スキャニングしたついでに何枚かご紹介。
今日は神奈川県大磯です。
①大磯名所 權現臺 安田善次郎氏石像
安田財閥創始者である安田善次郎氏の旧別邸にある氏の大理石座像で,大正5年(1916)に百三十銀行から送られたとのことです。石像の上部には「祥致」と彫られています。
②大磯名所 天王臺小千疊敷頂上
③大磯風景 千疊敷頂上ヨリ富士ヲ望ム
②と③は同じ所なんでしょうか?どちらの写真にも四阿(あずまや)が写っていますが,形が違いますよね?同じ場所の四阿を建て替えたのか,それとも別物なのか?どなたかご存知のかたがいらっしゃいませんか?
ちょっと面白いのが次の写真です。
④大磯風景 千疊敷頂上全景
頂上(と言ってもTOPがどこだかわかりにくいですが)に上の②と③の四阿らしきものが見えませんか?
ちょっと大きすぎ?これだけ遠くに写っていてあの大きさだと大型のリゾートホテルなみの大きさのように思えます。
拡大鏡で見てみると,どうやら手書きで書き込んであるみたいです。
⑤大磯風景 千疊敷十千亭
ここはとても景色がよさそうです。方向がどちら向きかわかりませんが,富士山もよく見えたのかもしれません。
⑥大磯名所 虎御石境内
『曽我物語』の虎御前縁の石「虎御石」は,曽我十郎の仇討ちの相手工藤祐経の刺客から十郎を守った石だそうです! この石は今でも延台寺に奉安されています。
写真は寺の山門のようですが,左側に曽我兄弟の碑が建てられています。これは木製のように見えますが,インターネットで最近の状況を見ますと,現在は石碑になっているようです。
山門自体も以前はずいぶんシンプルで,お寺というよりは普通の民家のように見えます。
⑦大磯八景 花水川の夕照
夕照とあるので,カラーだったらよかったのに,と思いますが,しかたありませんね。想像力を働かせて昔の美しい景色を楽しみましょう。
11/03/2012
アンティーク絵葉書 「飛行機」
物置から出てきた古絵葉書,まだまだたくさんありますが,毎日絵葉書の謎解きばかりしているわけにもいかないので,とりあえず絵葉書シリーズは今回で一休みします。
机の上がなんとなくホコリだらけになってしまいました。
今回紹介するのは,飛行機です。
①「ファルマン式」飛行機飛揚實况(於所澤)
②「ライト式」飛行機飛揚實况(於所澤)
③「ブレリオ式」飛行機飛揚實况(於所澤)
④バルセバール式飛行船(所澤町 山田屋呉服店)
①~③は,宛名を書く面が同じデザインなのでおそらく同時期に発売されたものだと思われます。
「ファルマン式」,「ライト式」,「ブレリオ式」とも初めて日本で飛んだ一連の飛行機です。所沢での飛揚実況とありますので,明治44年(1911)4月5日に所沢飛行場での初めての飛行試験日の状況を写したものかもしれません。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら,ぜひ解説いただけると有難いです。
④のバルセバール式飛行船は,ネットで調べると,明治45年(1911)6月にドイツから運ばれてきた飛行船で,大正元年(1912)8月30日に初飛行に成功と書かれています。
また,この写真には「所澤町 山田屋呉服店」と書かれています。現在は営業されていないそうですが,明治に創業してから所沢では誰でもご存知の大きなお店だったそうです。
明治44年(1911)の初めての飛行試験日の時にも,店を上げて一大イベントに協力されたようです。
所沢が「飛行機発祥の地」ということは同じ埼玉県民としてよく聞いていましたが,その当時の絵葉書が家にあったとは驚きです。
机の上がなんとなくホコリだらけになってしまいました。
今回紹介するのは,飛行機です。
①「ファルマン式」飛行機飛揚實况(於所澤)
②「ライト式」飛行機飛揚實况(於所澤)
③「ブレリオ式」飛行機飛揚實况(於所澤)
④バルセバール式飛行船(所澤町 山田屋呉服店)
①~③は,宛名を書く面が同じデザインなのでおそらく同時期に発売されたものだと思われます。
「ファルマン式」,「ライト式」,「ブレリオ式」とも初めて日本で飛んだ一連の飛行機です。所沢での飛揚実況とありますので,明治44年(1911)4月5日に所沢飛行場での初めての飛行試験日の状況を写したものかもしれません。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら,ぜひ解説いただけると有難いです。
④のバルセバール式飛行船は,ネットで調べると,明治45年(1911)6月にドイツから運ばれてきた飛行船で,大正元年(1912)8月30日に初飛行に成功と書かれています。
また,この写真には「所澤町 山田屋呉服店」と書かれています。現在は営業されていないそうですが,明治に創業してから所沢では誰でもご存知の大きなお店だったそうです。
明治44年(1911)の初めての飛行試験日の時にも,店を上げて一大イベントに協力されたようです。
所沢が「飛行機発祥の地」ということは同じ埼玉県民としてよく聞いていましたが,その当時の絵葉書が家にあったとは驚きです。
11/02/2012
アンティーク絵葉書 「大正六年東京湾台風」
11/01/2012
アンティーク絵葉書 「豊川名勝」
今回の絵葉書は,愛知県豊川市です。ほとんどが豊川稲荷の写真です。
まずはリストから…
①(豊川名勝) 豊川稲荷總門
②(豊川名勝) 樓門
③(豊川名勝) 豊川妙巖禪寺御本堂
④(豊川名勝) 再建築中ノ御本殿
⑤(豊川名勝) 豊川稲荷御本殿
⑥(豊川名勝) 豊川稲荷奥ノ院
⑦(豊川名勝) 豊川稲荷庭園之景
⑧(豊川名勝) 三重ノ塔
豊川稲荷には残念ながら参拝に参ったことがないので,いつものようにインターネットで写真に写っている建物などの建立時期など調べてみました。
今回ご紹介する絵葉書の中では,④の「再建築中ノ御本殿」というのがあります。
本殿は明治41年(1908)起工、昭和5年(1930)完成ということのようです。
そして⑤には完成後の御本殿が撮影されていますので,この絵葉書は昭和5年以降のものですね。
この写真をよく見ると両側に,再建のためのご奉納「金五萬圓」とか「金五千圓」と書かれた板が立っていますので,まさに竣工直後かもしれません。
でも,建築工事の状況を写した写真が「豊川名勝」と銘打った絵葉書集の中に含まれるのですから,なんとなく今と価値観が違うような気がしますね。
⑧の三重ノ塔は,大宝2年(702)創建の三明寺にある塔で,享禄4年建立だそうです。
これらの絵葉書の発行元は,はがきの裏面を見ると「ISUTSUI SEIKWADO SEI, KANDABASHI, TOKYO」と書いてありました。「いすついせいかどう」と読むんでしょうかね?
まずはリストから…
①(豊川名勝) 豊川稲荷總門
②(豊川名勝) 樓門
③(豊川名勝) 豊川妙巖禪寺御本堂
④(豊川名勝) 再建築中ノ御本殿
⑤(豊川名勝) 豊川稲荷御本殿
⑥(豊川名勝) 豊川稲荷奥ノ院
⑦(豊川名勝) 豊川稲荷庭園之景
⑧(豊川名勝) 三重ノ塔
豊川稲荷には残念ながら参拝に参ったことがないので,いつものようにインターネットで写真に写っている建物などの建立時期など調べてみました。
今回ご紹介する絵葉書の中では,④の「再建築中ノ御本殿」というのがあります。
本殿は明治41年(1908)起工、昭和5年(1930)完成ということのようです。
そして⑤には完成後の御本殿が撮影されていますので,この絵葉書は昭和5年以降のものですね。
この写真をよく見ると両側に,再建のためのご奉納「金五萬圓」とか「金五千圓」と書かれた板が立っていますので,まさに竣工直後かもしれません。
でも,建築工事の状況を写した写真が「豊川名勝」と銘打った絵葉書集の中に含まれるのですから,なんとなく今と価値観が違うような気がしますね。
⑧の三重ノ塔は,大宝2年(702)創建の三明寺にある塔で,享禄4年建立だそうです。
これらの絵葉書の発行元は,はがきの裏面を見ると「ISUTSUI SEIKWADO SEI, KANDABASHI, TOKYO」と書いてありました。「いすついせいかどう」と読むんでしょうかね?
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