今日ご紹介するのは、ちょっと昔の水泳教本です。
水泳はオリンピック選考も終わり、選手の皆さんは本番に向けて頑張っておられることでしょう。
この水泳の教本は、昭和初めに発行されたもので、今、地震で大きな被害を受けた熊本藩に伝わる泳法を解説したもののようです。
現在のオリンピックの種目とは呼び方も違いますし、もちろん形も違います。
スピードを競うというよりも、何となく忍者の「術」のような印象です。
雑賀蘇山著 日本水泳術教程(文化堂刊)
定価:一円
発行日:昭和3年7月1日
著者の
雑賀蘇山(雑賀丈男)の略歴を見ると、
著者は祖先より熊本藩八幡流の大権職の家柄にして七歳の時八幡流三十六代目師範叔父なる近藤家の門に入り熊本県熊本市立田に白川八幡淵にて練習し十六歳にして一式相伝を受け十九歳の時飽託郡池田村に八幡流出張所設置し年々数百の生徒を養生し以来長崎県水泳所又は大日本武徳会台湾台北支部水泳部教師、東京連合青年団水泳部主任教師、埼玉県隅田川上流に修泳学院を設置し生徒を養生し明治神宮競技水泳部にも年々参加し尚日本遊泳連盟会第一回開催の全国教師聨合採点協議会の際特等賞牌の光栄を得たり
この八幡流についていろいろとネットで検索してみると
「八幡淵は、水練の拠点でもあった」と書かれたブログが見つかりました。
そして、もう一人、著者のお師匠様なのか、関係がはっきりと書かれていないのですが、
大塚惟久翁という方の略歴も書かれています。
翁は熊本藩にて祖先より水泳師範の家柄にて今年七十歳安政六年一月生にして翁は明治十七年に上京を命ぜられ宮内省御浜御殿内教師を始めとし地方幼年学校、日本体育会、商船学校、埼玉県浦和中学校、同熊谷中学校、東京府立第四中学校、通俗教育会等各所の教師長及明治四十四年七月以降水上警察署水泳教師検定試験委員其の他核水泳教授所の顧問又大正十五年度より東京市営プールの教務を採り翁が養成された者各所にて教務を執り日本水泳界に於て高評なり尚翁は大正十二年に日本体育水泳界創立の労を採り高位高官多数の賛成を得たり
最後の行に書かれている
賛成者のリストが次ページに続きます。
中には、「前総理大臣 若槻禮次郎」とか小泉元首相の祖父の「代議士 小泉又次郎」などの名前も見つけることができます。
ところで、浦和中学校(旧制)は私の母校ですが、1年生の夏休みに遠泳大会があります。
約40年前、私が在学中に既に「伝統行事」でしたので、もしかすると八幡流に何か関係があったのかもしれませんね。
そういえば、第四中学校(今の戸山高校)は、飯田橋の駅の近くに
「発祥の地」の石碑が立っています。
ここでも、八幡流の授業が行われていたのでしょうか?
さて、肝心の水泳術ですが、大きく3つの泳法に分類されています。
・平体泳
・横体泳
・立体泳
まったくの水泳初心者から上級者まで、この教本を読めばこれらの泳法を習得できるように、というためだと思いますが、
・水褌の締め方
・初心者の練習方法(初心者浮揚法)
などから始まり、さらに上級者向けとして、
・潜水法
・浮身法(四肢を動かさず体を静止した状態で水上に浮かす方法)
・飛込法(「不意に水に入らんとする時急所を敲かぬ様」と書かれています。)
・救助法(水中の部、陸上の部:人工呼吸法)
という技術が解説されています。
ちょっとおもしろかったのが、立体泳です。
太刀を両手で持って川を渡ったり、扇や板に字を書く場合の注意事項、さらには「御前泳」という藩公の前で泳ぎを披露する時の泳法についても解説があり、それによれば、
最も沈着にして優美なるを要す三人以上にてそろえて泳ぐを揃御前泳と言い最も優美なり
とあり、まさにシンクロナイズドスイミング(しかも男子!)が「藩」の時代からあったということで、驚きました。