以前「1990年代に読んでいた本」について書きましたが、その第二弾です。
いずれも97年に発行されまして、その当時から見た日本の近未来を予測、予言したものです。
「2020年からの警鐘② 怠慢な日本人」
日本経済新聞社編,日本経済新聞社
「悪魔の予言」
日下公人、講談社
最近の状況をズバリ言い当てているというわけではありませんが、現在顕在化している様々な問題点を鋭く切り込んでいます。
両著の目次からキーワードを拾ってみると…
・未来担う人材途切れる
・ネットに巣食う犯罪
・南シナ海の潜水艦-経済成長が軍拡誘う
・石油、電力、通信は規制によって客をつぶし最後に自分もつぶれる
・「環境」が政治的に利用され環境保護を名目にしたライバルつぶしが起きる
・国内観光は日本人客から見捨てられアジア人頼りになる
・有効支配していない領土は他国にとられる
これらの問題はまだ解決したわけでもなく、今後も継続して良い方向に向かうよう努力していかなければなりませんね。
5/20/2015
5/07/2015
「パロディ」 マッド・アマノさんの作品集
今日は「パロディ」3冊です。
マッド・アマノさんの作品を集めた文庫本で、昭和57年から58年頃に買ったものです。
「パロディ」という言葉の意味を未だにどうとらえてよいのか悩むところですが、私としては、学生の頃にこれらマッド・アマノさんの作品に出合ったことが非常にインパクトが強かったのか、「パロディ」=「マッド・アマノ」という構図が出来上がっています。
当時、マッド・アマノさんの作品を見ていると、自分でも何か写真を切り貼りしたり、一部を描き替えて、同じような作品ができるのではないかと思い、一度やってみたことがありました。
しかし、これはそう簡単にはできません。
まず、パロディの内容は仮に素晴らしいのが思いついたとしても、ともかく素材となるネタ、すなわち写真や絵を手に入れるのが難しい。
切り貼りするのであれば、同じネタでも何枚も用意しないとダメ。
普段から意識して資料を集めていなければとてもできません。
また、それがそろっても、違和感なく一枚の絵に統合するには、相当のイラストのテクニックや、切り貼りテクニックが必要となる。
ということで、すぐに挫折するとともに、マッド・アマノさんの作品の凄さを思い知ったわけです。
今のように、パソコンで写真や絵を取り込んで、簡単に合成したり修正したりできるような時代ではありませんでしたので、どうやったらあのような作品ができるのか、未だに興味があります。
マッド・アマノさんの作品の制作プロセスなどが紹介された本などご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。
マッド・アマノさんの作品を集めた文庫本で、昭和57年から58年頃に買ったものです。
「パロディ」という言葉の意味を未だにどうとらえてよいのか悩むところですが、私としては、学生の頃にこれらマッド・アマノさんの作品に出合ったことが非常にインパクトが強かったのか、「パロディ」=「マッド・アマノ」という構図が出来上がっています。
当時、マッド・アマノさんの作品を見ていると、自分でも何か写真を切り貼りしたり、一部を描き替えて、同じような作品ができるのではないかと思い、一度やってみたことがありました。
しかし、これはそう簡単にはできません。
まず、パロディの内容は仮に素晴らしいのが思いついたとしても、ともかく素材となるネタ、すなわち写真や絵を手に入れるのが難しい。
切り貼りするのであれば、同じネタでも何枚も用意しないとダメ。
普段から意識して資料を集めていなければとてもできません。
また、それがそろっても、違和感なく一枚の絵に統合するには、相当のイラストのテクニックや、切り貼りテクニックが必要となる。
ということで、すぐに挫折するとともに、マッド・アマノさんの作品の凄さを思い知ったわけです。
今のように、パソコンで写真や絵を取り込んで、簡単に合成したり修正したりできるような時代ではありませんでしたので、どうやったらあのような作品ができるのか、未だに興味があります。
マッド・アマノさんの作品の制作プロセスなどが紹介された本などご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。
5/03/2015
中島敦「山月記」
高校生の頃、国語の先生に「このくらいは読んでおけ」と言われて買った文庫本について、以前このブログに書きましたが、そういう先生のお薦めの本に、中島敦の「山月記」がありました。
中島敦は、幼少のころから漢文教師の父親から得た漢学の教養を身に着け、その影響から昔の中国を舞台とした作品を残しています。
山月記も「隴西の李徴は博学才穎・・・」という書き出しで、当時、古文や漢文に全くついていけなかった私には、とても近づきにくいジャンルのひとつでした。
(なにしろ、当時、本屋で買うのはもっぱらマンガで、たまに読む文庫本は星新一などのショート・ショートといった感じでしたので・・・)
しかし、結局、高校生の間には読まず、大学に入ってから、ふと立ち寄った本屋で中島敦の名前を見つけ、すぐに恩師の言葉を思い出し、購入しました。
確かに、言葉はとっつきにくいけど、ストーリーはよくわかりました。
自分の栄誉のことばかり考えていて、妻子のことを顧みないことの愚かさを題材としたお話でした。
何事も、食わず嫌いではだめだということですね。
最近は、論語などの古典が新訳版で出版されています。
高校生のころは、言葉の壁が邪魔で、全くと言っていいほど、書いてあることがわかりませんでしたが、現代の言葉で書かれた論語は非常によくわかります。
山月記の他、高校、大学の頃にはこんな本も読んでました。
中島敦は、幼少のころから漢文教師の父親から得た漢学の教養を身に着け、その影響から昔の中国を舞台とした作品を残しています。
山月記も「隴西の李徴は博学才穎・・・」という書き出しで、当時、古文や漢文に全くついていけなかった私には、とても近づきにくいジャンルのひとつでした。
(なにしろ、当時、本屋で買うのはもっぱらマンガで、たまに読む文庫本は星新一などのショート・ショートといった感じでしたので・・・)
しかし、結局、高校生の間には読まず、大学に入ってから、ふと立ち寄った本屋で中島敦の名前を見つけ、すぐに恩師の言葉を思い出し、購入しました。
確かに、言葉はとっつきにくいけど、ストーリーはよくわかりました。
自分の栄誉のことばかり考えていて、妻子のことを顧みないことの愚かさを題材としたお話でした。
何事も、食わず嫌いではだめだということですね。
最近は、論語などの古典が新訳版で出版されています。
高校生のころは、言葉の壁が邪魔で、全くと言っていいほど、書いてあることがわかりませんでしたが、現代の言葉で書かれた論語は非常によくわかります。
山月記の他、高校、大学の頃にはこんな本も読んでました。
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