10/14/2012

市長會記念写眞

今日ご紹介するのは「市長會記念写眞」です。2枚あります。
2枚とも私の祖父が写っていますが,市長だったわけではありません。当時川口市役所(埼玉県)に努めていたので同行させてもらっていたのだと思います。

2枚の写真とも日付と場所が記載されていませんが,写っている風景や写真と一緒に保存してあった封筒などからある程度推測できます。

(今後,時間があるときにでも,もう少し突っ込んで調べてみたいと思いますが…)

ところで「市長會」って何?
全国市長会のHPからその沿革を引用しますと,以下の通りでした。

 明治22年4月1日、「市制町村制」の施行と同時に全国に31市が誕生しました。 明治31年5月18日、岐阜市において関西各市の代表が集った際、関西各市聯合協議会の設置が決定され、毎年1回会議を開催し、諸問題について協議することとされました。 この関西各市聯合協議会が全国市長会の発祥です。その後、毎年1回、各都市の持ちまわりで会議が開かれました(明治37、38年は日露戦争のため開催されず)。

上記の「関西各市聯合協議会」が、「全国市長会」になるまでの変遷は次のとおりです。

 日露戦争後の明治39年11月に奈良市で開かれた第7回会議において、全国の市(北海道と沖縄を除く)を会員とすることとし、その名称が全国各市聯合協議会に改められました。

 大正3年11月に京都市で開かれた第14回会議では、北海道、沖縄の各区(北海道、沖縄 では市制でなく区制が施かれていた)についても会員とするため、名称が全国各市区聯合協議会に改められました。

 その後、北海道、沖縄でも市制が施かれたことから、大正12年10月に静岡市で開かれた第23回会議において、名称が再び全国各市聯合協議会に改められました。

 昭和5年5月に宇治山田市(現在の伊勢市)で開かれた第30回会議では、大幅な機構改革を行うとともに、名称を全国市長会と改め、今日に至っています。



それでは,1枚目の写真です。



写真に「第三拾六回全國市長會記念撮影」と書いてあります。前述の全国市長会のHPの情報から推測すると昭和11年に開催されたようです。
また,写真を包んでいた封筒には「川口市役所御中 市長會記念写眞在中二葉 富山市役所」と記載されており,また,写真そのものにはエンボス加工で「富山寫眞舘 島川義雄」と押されています。
今も写真屋さんとして続いているのかどうかはわかりません。

次に,2枚目の写真です。



写真には特に年代を特定する情報は記載されていませんが,写真を収めていた封筒に手書きで「市長会議記念写真在中 高知市」と書かれており,また,封筒そのものには「高知市本町下二丁目 溝淵寫眞舘 電話一七七七番」と印刷されています。

前述の全国市長会のHPからは高知市で開催されたがいつなのかはわかりません。
今度,全国市長会の事務局さんにでも問い合わせてみたいと思います。

さて,この場所はどこなのか?ということで,中央の銅像を拡大してみると「板垣退」という文字が何とか読み取れました。
そこで高知市,板垣退助像で検索すると「高知公園」であることがわかりました。
(高知の方なら見ただけでお分かりだと思いますが,私は高知に行ったことがなく…)

でも,今の銅像は戦時中の昭和18年に金属回収のため供出されることになり、昭和31年に再建されたもののようです。
この写真に写っているのは大正12年12月5日に除幕されたものということですので,高知市開催の全國市長會はそれ以降に開催されたのは確かなようです。
(ところで板垣退助像の新旧の写真を比べると今のほうが右手を高く上げて指さしているように見えます。)

インターネット検索を使うとわずかな手がかりでも古い写真のことがわかるものですね。

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